競馬場レースイメージ
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出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    致命的な出遅れから
    記録的なダービー制覇

    1943年 日本ダービー ● 優勝 尾形藤吉厩舎に所属したクリフジはデビューこそ遅れたが、2連勝でダービーに駒を進める。レースは出遅れながら6馬身差の圧勝。 鞍上の前田長吉騎手は史上最年少(20歳3カ月)で制覇を果たした©JRA

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     クリフジの2戦目は、5月30日、東京芝1600㍍の4歳呼馬。ここを逃げて大差で勝ち、前田はこの日の戦績を3戦3勝とした。

     6月5日、山本五十六の国葬が日比谷公園で挙行された。そのため、この日に予定されていた春季東京開催は前日の4日に繰り上げて行われた。そして翌日、1943年春季東京開催最終日となった6月6日。前田とクリフジは、第9レースの「第12回東京優駿競走」に参戦する。敵性語排除のおり、この名称は用いられなかったかもしれないが、「第12回日本ダービー」である。出走馬は過去最多(当時)の25頭。天候は晴れ、良馬場のコンディション。一等と二等を合わせて2万3200人を収容するスタンドは観客で埋めつくされていた。軍服を着た男もいる。

     クリフジは、単勝53円50銭の1番人気。当時、馬券は20円単位で売られていたので、単勝オッズにすると2・7倍ほど。大卒の初任給が60~70円だったので、馬券の最低単位は今より遥かに高額だった。

     出走馬が本馬場に入った。クリフジも前田も落ちついている。尾形がダービーではベテラン騎手を起用すべきか栗林に確かめたところ、「前田のままでいいでしょう」と栗林が応じ、コンビ継続が決まっていた。

     栗林は、1898(明治31)年、北海道室蘭市で生まれた。東京帝国大学農学部獣医学科を卒業後、英国に遊学した経験を持つ。のちに東京馬主協会初代会長、全日本馬主協会連合会会長などを歴任。千葉の大東牧場、盛岡の黄金牧場、室蘭のユートピア牧場などを経営した、オーナーブリーダーの走りでもあった。息子の栗林英雄はライスシャワーの馬主として知られている。

     尾形は前田にこう言った。

    「固くなるな。あわてるな。馬の力を信じて乗ればいい」

     午後2時45分、出走馬25頭がスタンド前で横一列に並びはじめた。当時はスターティングゲートがなく、出走馬は横に張られたロープのようなバリヤーの手前に整列した。

     10番のクリフジが、両隣の9番と11番の間に入り切れずにいるうちにバリヤーが上がり、スタートが切られた。体勢が整っていなかったクリフジは2馬身ほど出遅れた。「一回転して出ていった」と語り継がれたほどのロスだった。が、前田は慌てなかった。出遅れを挽回すべく急いで押し上げようとはせず、後方に待機したまま、エネルギーを溜めた。

    「前半は抑えて行け」という師匠の指示を忘れていなかったのだ。いつものクリフジの走りをさせ、とにかく馬に無理をさせてはいけない――そう考え、出たなりで後方4番手の内に誘導し、折り合いをつけた。

     ハナを切ったのは、作家の吉川英治が所有する3番トキノココロだった。2番テツマサキ、12番ミスセフトがそれにつづいた。

     馬群は1、2コーナーを回り、向正面へ。先頭からクリフジがいる後方集団まで20馬身ほども離れている。それでも前田は道中では動かなかった。3コーナーでペースが上がり、先頭から最後尾まで15~16馬身に詰まってきた。3、4コーナー中間の勝負どころで、前田はクリフジの充分な手応えを感じながら進路を探した。内に3頭ぶんほどのスペースがあった。これは天佑だとばかりに、彼はクリフジを内に誘導する。クリフジは、4コーナーを回りながら少しずつ外に出て中団に取りついた。最後の直線。ラスト400㍍地点で6、7番手まで押し上げ、前を4~5馬身の射程に入れた。ラスト300㍍過ぎで前が開いた。そこから凄まじい瞬発力で先頭に躍り出て、ラスト200㍍地点から独走態勢に。一完歩ごとに後続との差をひろげ、2着馬を6馬身突き放して、1937年ヒサトモ以来6年ぶり、史上2頭目の牝馬のダービー馬となった。勝ち時計は2分31秒4。前年のミナミノホマレの記録を1秒6も更新するレコードだった。

     乗り方を指示した尾形も、ただただ「ほーっ」と感心するばかりだった。1892(明治25)年、北海道有珠郡伊達町(現伊達市)で生まれた尾形は、旧八大競走を39勝する歴史的伯楽だ。管理馬で日本ダービーを史上最多の8勝する尾形の、これが同レース3勝目であった。

     前田はこのとき20歳3カ月。日本ダービーの最年少優勝記録を樹立した。それは今なお破られていない。

     前田は翌月、府中で徴兵検査を受け、「現役に適す」という甲種と乙種の下で、「国民兵役に適す」という丙種と判定された。そのためすぐには召集されず、クリフジに乗りつづけることができたのだ。

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