競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 55

二度頂点を極めたダート王者
不屈のカネヒキリ

斎藤修 OSAMU SAITO

2020年8月号掲載

若くしてダート王に輝きながら“不治の病”とも言われる屈腱炎を発症。
雌伏の時を経て奇跡の復活を果たし、8歳まで戦い続けた。
その波乱の競走馬生活を今一度辿る。

    ©Y.Hamano

    すべての写真を見る(8枚)

     2015年に『優駿』誌上で発表された、『未来に語り継ぎたい名馬BEST100』の投票で、ダートでの活躍が評価されたと思われる馬は次のとおり。

     19位 クロフネ
     32位 ホクトベガ
     55位 カネヒキリ
     70位 メイセイオペラ
     86位 ヴァーミリアン
     91位 エスポワールシチー

     地方所属のメイセイオペラを別とすれば、いずれもデビュー当初は芝を使われていた馬たち。ホクトベガこそデビューから3戦はダートだったが、4歳までの重賞3勝はいずれも芝だった。

     ところがごく近年のダート・チャンピオン級の馬たちはまったく異なる。14年以降のJRA賞・最優秀ダートホースを順に並べてみると、ホッコータルマエ、コパノリッキー、サウンドトゥルー、ゴールドドリーム、ルヴァンスレーヴ、クリソベリル。1頭の例外もなくデビューから一貫してダートのみを走っている。

     日本のダート、というより中央競馬のダートの歴史はまだ新しい。

     中央・地方間で交流が広がったのが1995年のことで、フェブラリーSが中央競馬で初めてのダートGIとして格上げされたのが97年。その頃をダートの黎明期とするなら、カネヒキリが活躍したのは、ダート競馬がいよいよ充実期を迎えようかという時期。同期にはヴァーミリアン、サンライズバッカスがいて、3歳下にエスポワールシチー、スマートファルコン、サクセスブロッケン、カジノドライヴ。この頃、船橋の名門・川島正行厩舎にはアジュディミツオー、フリオーソがいた。ダートGI(JpnIも含む)のタイトルを巡って群雄が割拠する時代だった。

    国内のダート競馬が充実期を迎えた時期に活躍したカネヒキリ。 栄光と挫折をともに経験した、波乱の競走馬生活を送った©K.Yamamoto

    すべての写真を見る(8枚)

    主戦も出自も無敗も同じ
    “ダートのディープ” として注目

    2005年 ジャパンCダート ● 優勝 3歳ダート交流GIを連勝。前哨戦こそ2着に敗れたものの、1番人気に支持され、3頭横並びの接戦を制した©H.Matsuzaki

    すべての写真を見る(8枚)

    2006年 フェブラリーS ● 優勝 中団から抜け出し3馬身差の完勝。その後もドバイ遠征、帝王賞2着と歩んだが、屈腱炎で長期休養を余儀なくされた©M.Seki

    すべての写真を見る(8枚)

     2歳時に芝を2戦して勝てなかったカネヒキリだが、3歳になってダートで未勝利戦、3歳500万下をともに圧勝で連勝。そこで芝の毎日杯に挑戦するが7着と結果は出なかった。再びダートに戻った端午S(当時は京都ダート1800㍍)では2着に9馬身差の圧勝。これで進むべき道が決まった。

     断然人気で迎えたユニコーンSは、芝のスタートでやや後手を踏んだものの、直線では軽く気合をつけられただけで抜け出した。のちに短距離のダート交流重賞で6勝を挙げるアグネスジェダイに1馬身3/4差だが、着差以上の楽勝だった。

     時は、ディープインパクトが無敗のまま日本ダービーを制した翌週。ともに鞍上は武豊騎手で、勝負服も同じ。単勝の払い戻しも同じ110円。ダートに限れば無敗ということでは“ダートのディープ”として、より注目度が高まった。

     オーナーが金子真人氏(のち金子真人ホールディングス)ということでは、その出自からして共通している。ノーザンファームの生産で、02 年セレクトセール当歳で取引された。ディープインパクトは7350万円(税込)、カネヒキリは2100万円(同)。例年、億超えの落札が何頭もあるセレクトセールにあっては、注目度はそれほど高くないところから現れた、芝・ダートそれぞれの世代最強馬でもあった。

     その後、大井のジャパンダートダービーは2着の地方馬に4馬身差、当時交流GIとして9月に行われていた盛岡のダービーグランプリでは2着サンライズバッカスに2馬身半差、3着馬はさらに7馬身離れ、圧倒的な強さで勝ち続けた。

     いよいよ古馬初対戦となったのが武蔵野S。これまたディープインパクトが無敗の三冠制覇となった菊花賞の翌週。しかしスタートで出遅れ後方からとなり、直線追い上げたもののサンライズバッカスに1馬身3/4及ばず。GI勝ちの実績で3㌔の別定重量差も大きかった。

     とはいえカネヒキリは一戦ごとに確実に力をつけていた。武蔵野Sは敗因がはっきりしていただけに、ジャパンCダート(当時は東京2100㍍)でもやはり1番人気。直線、残り200㍍の手前から、11番人気シーキングザダイヤ、13番人気スターキングマンと馬体を併せての追い比べを、ハナ、クビという僅差で制した。ジャパンCダート6回の歴史で、3歳馬による勝利は第2回のクロフネ以来2頭目のことだった。

     4歳初戦のフェブラリーSでも1番人気に支持されたが、不安がないわけではなかった。これまで2度とも出遅れていた芝スタート。しかしこのときは互角のスタートを切って、中団うしろを追走。直線では1頭だけ際立つ脚色で突き抜けた。先のジャパンCダートは3歳ゆえ2㌔恵まれていたが、そのときハナ差2着だったシーキングザダイヤに対し、今度は同じ57㌔で3馬身差をつける完勝だった。

     日本の期待を背負って遠征したドバイワールドCは、勝ったエレクトロキューショニストから10馬身離されての5着(後日、2着馬が失格となり4着に繰上り)。世界のカベの高さを痛感させられた。

     帰国初戦の帝王賞は、逃げた船橋のアジュディミツオーを追って直線一騎打ちとなったが、その差は1馬身までしか詰まらず。それでも3着サイレントディールには6馬身差をつけ、勝ちタイム2分2秒1はコースレコード。アウェーでもあり、負けてなお強しの内容だった。

    01
    03