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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    95年は現在にも続く大きな
    ターニングポイントとなった年

    皐月賞馬不在、ダービー馬不調、オークス馬参戦により、〝乱菊〟と称された1995年の菊花賞を勝利。夏の上がり馬として3番人気に推されていた©JRA

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     95年は競馬の世界でも、日本という国にも大きな出来事が起きた、言い換えれば現在にも続く大きなターニングポイントとなった年だった。

     ひとつは「開放元年」と呼ばれる、地方所属馬への中央競馬のGI競走の門戸開放だ。前哨戦などで一定の条件を満たし、優先出走権を得られれば、地方所属馬でも中央に移籍することなくビッグレースに出走できるというもの。今となっては当たり前のように思えるものだが、当時としてはとてつもないパラダイムシフトであった。

     初年度からこの制度によって、皐月賞には弥生賞3着で権利を得た高崎のハシノタイユウが、菊花賞には神戸新聞杯で3着だった笠松のベッスルキングが出走した。さらに牝馬では、同じく笠松のライデンリーダーが報知杯4歳牝馬特別(当時のレース名、以下同)を圧勝して、桜花賞では1番人気に支持された。その後もオークス、さらに当時は3歳馬のレースだったエリザベス女王杯に駒を進めた。3頭ともに、GIでは結果を残すことはできなかったものの、クラシック戦線の盛り上げに大きく寄与した。

     装いを新たにした95年のクラシック戦線で猛威をふるったのが、この世代が初年度のサンデーサイレンスの産駒たちだった。とりわけ牡馬は、前年の朝日杯3歳Sを無敗で制し、2歳チャンピオンになったフジキセキが3歳初戦の弥生賞も楽勝。皐月賞直前の故障で電撃引退、種牡馬入りとなってしまったが、二の矢、三の矢としてジェニュインが皐月賞を、タヤスツヨシがダービーを勝利、牝馬もオークスは桜花賞で2着だったダンスパートナーが勝利した。あっさりと、春のクラシック4つのうち3つを制圧してしまったのである。

     そして、もっとも大きかったのは1月17日に発生した阪神淡路大震災だ。マヤノトップガンがデビュー戦を迎えて9日後の出来事。冠名“マヤノ”は、兵庫県の摩耶山が由来であり、オーナーである田所祐は神戸市灘区に自身の病院を開業していた。田所自身は難を逃れたが、経営に携わっていた弟夫妻は震災の犠牲となってしまったのである。

     中央競馬も阪神競馬場が大きく損壊してしまい、予定されていた開催は京都や中京など、他の競馬場で代替された。震災とは無関係の場面でも、中央競馬にとって負の連鎖は続く。前年の三冠馬で、この年の堂々たる主役として目されていたナリタブライアンが、阪神大賞典を圧勝後に故障で戦線離脱。秋に復帰するも、3戦していずれも精彩を欠くレースが続く。ナリタブライアン離脱後に天皇賞で復活を遂げたライスシャワーは、続いて出走した復興支援競走として行われた宝塚記念で命を落としてしまう。先のフジキセキの離脱もそう。

     期待されたスターたちが相次いで表舞台から姿を消してしまったことが、ファンの中に次のスターを求める気持ちが醸成されていったのかもしれない。8月から9月にかけてフランスに遠征し、ノネット賞で2着になるなどして帰国したオークス馬ダンスパートナーが、牡馬三冠の最終戦である菊花賞に駒を進めてきた。ダービー馬タヤスツヨシや、トライアルの勝ち馬であるサンデーウェル、タニノクリエイト、ナリタキングオーらを差し置いて1番人気に支持されたのも、おそらくその表れだろう。

     しかし、レースを制したのはマヤノトップガンだった。神戸新聞杯、京都新聞杯と2つのトライアルでそれぞれ2着となる中で脚をはかり、本番では4コーナー先頭から押し切るロングスパートを見せると、レコードタイムのおまけつきで最後の一冠を手にした。ところが、3番人気の重賞未勝利馬の勝利を、世間は手放しに評価しなかった。牝馬を1番人気に推してしまったことを自戒し、ダービー馬の見せ場のない6着凡走によって、「主役不在の恵まれたレース」と判断したのである。続く有馬記念で、同い年の皐月賞馬ジェニュインが3番人気で、マヤノトップガンは6番人気だったことが何よりの証だ。

     菊花賞では好位でレースを進めたマヤノトップガンは、有馬記念では逃げの手に出ると、直線ではあっさりと後続を突き放して、2馬身差の完勝。この年、唯一のGI2勝馬となったことで、年度代表馬にも選出される。春までは無名だった上がり馬が菊花賞を勝つことは珍しくはないが、勢いそのままに有馬記念まで制して、年度代表馬にまでなるというのは異例中の異例で、よほどの力がなければできない芸当だ。さらにこの年、サンデーサイレンスがわずか2世代だけの産駒でリーディングサイヤーとなったが、マヤノトップガンはここまでサンデーサイレンス産駒に先着を許すことなく、むしろ同世代のサンデーサイレンス産駒のGI馬3頭を返り討ちにしてきた。父のブライアンズタイムが種牡馬リーディング争いで、4度の2位がありながら、常にサンデーサイレンスの後塵を拝し続けてきたのとは対照的に“サンデーキラー”だったように思える。

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