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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 38

夏の上がり馬から一躍スターダムへ。
マヤノトップガンの不思議

土屋 真光 MASAMITSU TSUCHIYA

2018年10月号掲載

3歳夏から急成長で菊花賞を勝ち、その勢いのまま年末の有馬記念も制して、年度代表馬にまで上り詰めたマヤノトップガン。翌年の阪神大賞典での、ナリタブライアンとのマッチレースは、今も名勝負としてファンに語り継がれている。変幻自在の脚質でターフを沸かせた同馬の活躍を振り返ろう。

    何がベストであるのか最後まで
    試行錯誤が続いていたのではないか

     マヤノトップガンといえば、結果的に引退レースとなった5歳時の天皇賞(春)が印象的だ。馬名に使われた「トップガン」は、撃墜王のようなイメージから、この天皇賞こそ馬名を体現したように思われやすい。しかし、そもそもの由来である同名映画での意味に沿うと、米海軍戦闘機兵器学校で、むしろ「撃墜王養成学校」の通称である。

     そもそも、マヤノトップガンは、実に不思議な馬だった。初勝利は京都競馬場で実質一番短い距離のダート1200㍍(1100㍍の設定はあるが83年以降使用されていない)で、最後の勝利が同じく京都で一番長い芝3200㍍。3歳時に有馬記念を逃げ切ったと思えば、5歳の阪神大賞典では後方からひとまくりを見せ、続く天皇賞(春)では大外一気の豪脚を披露した。よく言えば変幻自在。だが、実際のところは、力がある故に、何がこの馬にとってのベストであるのか最後まで試行錯誤が続いていたのではないかと推測する。

     そのせいか、決して華のある馬ではなかった。美しい栗毛の馬体、顔の中心に白く伸びる流星はまごうことなくグッドルッキングである。当然、魅せられるファンも個々にはいたのだが、ひと世代前のナリタブライアンや、続く世代のサイレンススズカのように、ファン全体として絶大な支持や信頼を集めるような馬では決してなかった。事実、3歳で年度代表馬となった以降、引退までの8戦で1番人気に推されたのは4回で、そのうちGIでの1番人気は宝塚記念の1回だけであった。

     勝利した5歳時の天皇賞(春)が、なまじ強烈な印象を与えたために、余計に3~4歳時の印象が薄くなってしまったのかもしれない。もとより、競走生活を通して、連戦連勝の無双タイプではなかったし、惨敗と劇的な勝利を繰り返すような馬でもなかった。では、この馬にドラマがなかったのか。答えは否だ。そのためには、マヤノトップガンがデビューした3歳時の1995年という年の特異性に触れておきたい。

    ©H.Suga

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