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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    「ホクトベガという生き方」
    第二章 行く先未定の女

    93年のエリザベス女王杯では9番人気の低評価を覆し、最後の直線で豪快に末脚を伸ばして勝利。「砂の女王」の初GⅠ勝利は芝の舞台だった©JRA

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     ところが。ホクトベガはそれから二年以上、第二章「未定の女」という生き方を続けることになった。何が未定なのか? それは行く先である。

     有馬記念から急きょ確勝を期してターコイズSに矛先を変えたものの、3着に負けてしまったのだ。芝がダメならダートがある。ファンの期待を背負い、明け4歳の初戦となった平安Sでは2番人気に推されたが10着と惨敗。やはり芝か。減っていた馬体の回復に努め、自信を持って送り出した中山牝馬Sは4着。ならばマイル路戦へと矛先を京王杯スプリングCに向けたが、外国馬が4頭出走し1~4着を独占。ホクトベガは日本馬としては最高位の5着だったが安田記念を自重し、今度は夏の札幌に矛先を向ける。札幌日経オープンを快勝すると、札幌記念でも危なげなく連勝。同じ札幌競馬場で行われた函館記念は3着だったが、目標は天皇賞(秋)だとファンは思った。しかしステップレースの毎日王冠は9着惨敗。天皇賞をあきらめオープン戦の富士Sに出走するが6着。4歳最後は阪神牝馬特別。だが6番人気で5着に終わる。GⅠ馬ゆえの斤量が重い。

     そこへとんでもない噂が聞こえてきた。ホクトベガが障害練習をしているというのである。びっくり仰天してすぐに森オーナーに電話をかけ「妙な話を聞いたんですけど」と切り出すと、障害練習しているのは事実なんだよという答えが返ってきた。ファンからは障害入りをあきらめてほしいという嘆願書が届いているという。

     とりあえず5歳初戦にはGⅡのAJCCが選ばれる。韋駄天ツインターボが逃げてよどみない流れ。ホクトベガは中団でじっと我慢して脚をため、インをすくって伸びる。結果的にサクラチトセオーにクビ差差されて2着だったが、上り3ハロン34秒6の切れを見せた。レース後「先生、障害やめますよね?」と聞くと、記者に取り囲まれた中野調教師は「そうね、考え直さざるを得ない結果だね」と笑った。ホクトベガは飛越が巧く、中山大障害も狙えるのではないかと中野調教師は思っていたらしい。これまたなんとも愉快な話である。

     しかし続く中山牝馬Sは2着。中山記念8着。京王杯スプリングC3着。大一番の安田記念は3番人気で5着。勝ちきれない日々が続いた。ところがその1カ月後、日本競馬史上に残る「事件」が起こるのである。

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