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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 33

国難に喘ぐ日本に、勇気と希望を。
ヴィクトワールピサの奇跡

合田 直弘 NAOHIRO GODA

2018年5月号掲載

皐月賞を快勝し、秋には仏遠征を敢行。その年末には有馬記念を勝ち、早くから卓越した才能を見せたヴィクトワールピサ。そして、2011年3月にはドバイワールドCを制して、東日本大震災で混乱に陥る日本に吉報を届けた。そんな同馬の歩みを振り返ろう。

     競馬を見ていると、その日、その場所でしか創造しえない時空の出現に、稀にではあるが立ち会うことがある。2011年3月26日、メイダン競馬場に居られたことは、筆者にとってこの上ない幸せであり、その数日前から滞在したドバイで得た経験は、かけがえのない財産となっている。

     世界中から集まった人々が誰彼構わず肩を叩き合い、「よかった! よかった!」と声をあげながら喜びを分かち合う。スポーツの中でも、とりわけ競馬でなければ繰り広げられることのない光景を現世に描き出した立役者が、ヴィクトワールピサだった。あの日、彼は確かに神の化身であった。

    父のサイヤーラインは“アウェイ”で
    大きな成功を手にする資質を秘める

    初コンビの岩田康誠騎手を背に、皐月賞を制覇。直線は内から狭い馬群を縫うように末脚を伸ばし、1番人気の支持に応えて快勝した©K.Ishiyama

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     07年3月31日、北海道千歳市の社台ファームで、繁殖牝馬ホワイトウォーターアフェアが彼女にとって7番目の子供となる牡馬を出産した。後の、ヴィクトワールピサである。

     英国を拠点に現役生活を送ったホワイトウォーターアフェアは、ドーヴィルの仏G2ポモーヌ賞、牡馬を撃破したニューべリーのG3ジョンポーターSと2つの重賞を制した他、G1ヨークシャーオークスでも2着となった、優秀な競走馬だった。

     走った牝馬が良い仔を出すとは限らないのがこの世界だが、同馬は母としても卓越しており、1999年に産んだ初仔のアサクサデンエンは6歳となった05年6月に安田記念を制し、01年に産んだ3番仔のスウィフトカレントは5歳となった06年10月に天皇賞(秋)で2着となっていた。

     この間に欧州では、ホワイトウォーターアフェアの3歳年下の半弟リトルロックが、00年にG2プリンセスオブウェールズSなど2重賞を制覇。同年、ホワイトウォーターアフェアの母マッチトゥーリスキーの12歳年下の半弟アークティックオウルが、G1愛セントレジャーに優勝。更に、ホワイトウォーターアフェアの10歳年下の半妹ショートスカートが、06年にG3ミュージドラSなど2重賞を制した他、G1ヨークシャーオークス2着、G1英オークス3着などの活躍を見せていた。

     すなわち、ヴィクトワールピサが生まれた頃、同馬の牝系はごく近いところにブラックタイプが目白押しという、世界的に見ても最上級の部類に入るファミリーとなっていたのであった。

     ヴィクトワールピサの父は、これも千歳市の社台ファームで00年に生まれたネオユニヴァースである。ヴィクトワールピサの競走生活後半で、主戦を務めることになった伊国人騎手ミルコ・デムーロに、日本におけるクラシック初制覇をもたらしたのが、実にネオユニヴァースであった。昨年11月に急逝された瀬戸口勉さんが管理していた同馬が、03年の皐月賞、日本ダービーを制した時、手綱を握っていたのがデムーロだったのである。

     初年度産駒からいきなり、皐月賞馬アンライバルド、日本ダービー馬ロジユニヴァースが出現したネオユニヴァースの、2世代目の産駒として生まれたのがヴィクトワールピサだった。

     3世代目以降、重賞勝ち馬は多数現れるものの、GⅠ勝利とはしばらくご無沙汰したネオユニヴァースだったが、17年4月に6世代目の産駒の1頭であるネオリアリズムが香港でG1クイーンエリザベスⅡ世Cに優勝。更に18年2月には、ヴィクトワールピサと同世代のネオユニヴァース産駒トーセンファントムを父に持つブレイブスマッシュが、移籍先の豪州でG1フューチュリティSを制覇。また後に詳述するが、ヴィクトワールピサの産駒から独国における重賞勝ち馬が出ており、このサイヤーラインが“アウェイ”で大きな成功を手にする資質を秘めていることは、ぜひ記憶しておきたい。

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