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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    馬具でここまで激変した例は
    GⅠレベルでは皆無に近い

    【K.Yamamoto】

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     デビュー以来5戦2勝、重賞では勝ち負けになっていなかったナリタブライアンが初めてシャドーロールを装着して走ったのは、6戦目の京都3歳S(レース名の馬齢は当時。以下同)だった。入厩当初から気が小さく臆病な面があり、それを改善するために着けたとのことだったが、効果は驚くべきものだった。

     実際、ブリンカーや去勢ならまだしも、シャドーロールという馬具ひとつでここまで激変した例は、少なくともGⅠレベルでは皆無に近い。大久保正陽調教師は、あまたの伯楽の中でも特にレースを数多く使って仕上げるのが大きな特徴で、そんな馬作りによる素質の開花が、たまたまシャドーロールの装着とタイミングが重なった。そういう見方もできるが、それにしても鮮やかすぎる変身だった。

     京都3歳Sを3馬身差で制したナリタブライアンは、続くGⅠ朝日杯3歳Sも3馬身半差で圧勝する。レース史上2位タイの好タイムで、3着馬はさらに4馬身後方というぶっちぎりだった。

     明けて94年、その強さはさらに度を増していく。共同通信杯4歳Sは4馬身差。スプリングSは3馬身半差。馬群からだろうが、後方から外を回ろうが、直線で抜け出すと、あとはもう一方的に差を開くのみ。いつしか人はナリタブライアンを「シャドーロールの怪物」と呼んだ。

    「皐月賞3_馬身、
     ダービー5馬身、
     菊花賞7馬身。」

     とはJRA『ヒーロー列伝』のポスターに記されたコピーだが、これはナリタブライアンの強さの本質を端的に表したものとして秀逸だ。走るたびに開いていった着差は、三冠合計で15馬身半に達した。もちろん全7頭の三冠馬で最大だ。

     さらに皐月賞はコースレコード、ダービーのタイムもレース史上3位で、菊花賞もコースレコードだった。そんなところにも「次元」の違いはよく現れている。

     この輝かしい94年の最後を飾ったのは、有馬記念の勝利だった。同世代の怪物牝馬ヒシアマゾンに3馬身差の圧勝。当初はここでビワハヤヒデとの兄弟対決が実現する可能性もあったが、ビワハヤヒデは天皇賞・秋のレース中に屈腱炎を発症して敗れ、そのまま引退していた。

     ナリタブライアンが三冠制覇を達成した菊花賞はその天皇賞の翌週だった。テレビ中継で直線、杉本清アナウンサーが発した「弟は大丈夫だ!」という台詞は、名実況の一つとしてよく知られている。

     圧勝続きだったナリタブライアンだが、この年には一度だけ敗戦を喫している。菊花賞の前哨戦の京都新聞杯で、抜け出して一度は先頭に立ったものの、いつもの豪脚が見られず、最内から伸びたスターマンにクビ差、競り負けた。

     敗因は、ダービーまでに多くのレースを走った疲れに、夏を過ごした北海道で猛暑に見舞われたことが重なり、状態がまったく上がっていなかったためだった。

     単勝1・0倍(!)を裏切ったインパクトは大きく、この敗戦はそれなりに騒がれた。しかしそんな状態でも菊花賞への「叩き台」として出走させたこと、そもそも2歳時から多くのレースを使ってきたこと自体が、これはもう大久保正陽厩舎のカラーなのだということは、賛否は別にしても、ある程度ファンには理解されていた。これでナリタブライアンの評価が下がるということはなかった。

     事態が急転するのはむしろこの後だった。「最強馬ナリタブライアン」の物語の終わりは、もうすぐそこに迫っていた。

    三冠制覇後の有馬記念でも、古馬の強豪を寄せ付けず”3歳四冠”を成し遂げた 【H.Imai(JRA)】

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