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出走馬の様子
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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    強敵相手も圧巻の走りで
    連勝街道を進んで行く

    1994年 もみじS ● 優勝 2着は後のダービー馬。必死に追いすがる相手を物ともせずノーステッキ、更にレコードタイムでの完勝劇だった©JRA

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     かねてからの予定どおり、フジキセキの2戦目は秋の阪神、10月8日のもみじS芝1600㍍になった。新馬戦での勝ちっぷりが評価され、単勝1・2倍の圧倒的な人気を集めていた。

     このレースでフジキセキは、きれいなスタートから中団に控え、3コーナーから徐々に上がっていって4コーナーで先頭に並びかけるという、デビュー戦からは考えられないくらいにスムーズなレース運びを見せる。そしてそのあとの直線では、この馬の能力の底知れなさをまざまざと見せつける光景が展開されることになった。

     まったくの馬なりのまま4コーナーを回ったフジキセキは、軽く気合いをつけられただけで簡単に抜け出して先頭に立つ。そこに外から同じサンデーサイレンス産駒のタヤスツヨシが必死に追ってきた。

     フジキセキの鞍上・角田晃一は、二度三度とタヤスツヨシを振り返った。が、このとき、角田の手はほとんど動いていない。その様子は、まるでタヤスツヨシが来るのを待っているように見えた。

    「この馬に追いつけるかな」

    「追いついてこれるなら、こっちも追うけど」

     そういっているようだった。そして実際に、角田の両手はそのままゴールを先頭で駆け抜けるまで、手綱から離れることはなかったのだ。

     2着タヤスツヨシとの差は1馬身1/4より縮まることはなく、勝ちタイムは1分35秒5だった。フジキセキはほとんど馬なりのままでレコードタイムを叩き出し、のちの日本ダービー馬を粉砕したのである。

     この圧勝で、フジキセキは誰もがクラシック最有力候補にその名をあげる存在になった。そして勇躍、朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS)に駒を進めることになる。

     朝日杯3歳Sは出走馬10頭のうち5頭が2戦2勝の無敗馬で、そのうちの1頭はストームバード産駒の外国産馬スキーキャプテンだったが、ここでもフジキセキは単勝1・5倍の支持を受けた。

     このレースは最内枠からのスタートだったが、心配された出遅れもなく、3番手の内につけた。レースの流れは1000㍍の通過が58秒7という速いペースだったが、それでもフジキセキはやや行きたがるところを見せる。それもあってのことか、角田は4コーナーから直線にかけて、あえてフジキセキの進路を窮屈な最内に取った。

    「ここでこういう経験をしておくと、あとでプラスになると考えた」

     レース後、角田はこの意図をそう説明している。

     狭いところをこじ開けるように抜け出してきたフジキセキが先頭に立つ。そこに大外から飛んできたのは、やはり2番人気のスキーキャプテンだった。いい脚を使って追い込んできたものの、クビまで迫ったところがゴールだった。が、クビという着差以上にフジキセキには余裕があった。仮にスキーキャプテンが並びかけたら、そこで初めて角田はフジキセキを追うことになり、着差はさらに広がったことだろう。

     このころの朝日杯3歳Sは「もっともダービーに直結するレース」であった。直近8年間の勝ち馬のうち5頭がダービー馬となっていて、しかも残る3頭のうちの2頭はダービー出走権のなかった外国産馬というレースだったのだ。それを勝ったフジキセキに対して「これで来年のダービー馬は決まった」という声があがるのは当然といえたが、その勝ちっぷりからダービーのみならず「三冠」という言葉も聞こえるようになった。

     しかしこのレースのあと、渡辺と角田は同じ課題を口にしている。それは、馬がまだ幼く、どうしても行きたがること。この日もレースがハイペースで流れているにもかかわらず、口を割って行きたがるところがあった。そしてもうひとつ渡辺があげた不安が、馬体の成長の速さである。

     フジキセキはデビュー戦を472㌔で走ったが、朝日杯では492㌔。レースのたびに10㌔ほど馬体重が増えていた。体重の増加と同時に骨や腱も成長してくれればいいのだが、それがなかなか難しい、というのだ。

    1994年 朝日杯3歳S ● 優勝 これまでとは違い狭い内をつく窮屈な競馬を経験。最後は後続に迫られるも着差以上の余裕があった勝利だった©M.Yamada

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