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出走馬の様子
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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    関係者の熱意で菊花賞出走
    念願の舞台を圧勝で飾る

    1988年 京都新聞杯 ● 6着 春はオープン特別Vも、骨折で目標は秋へ。菊花賞出走をもくろむがよもやの不利が重なる(右桃帽)©JRA

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     陣営が待ちわびた秋。スーパークリークは9月25日のGⅡ神戸新聞杯(2000㍍)から始動。復帰戦で3着に入り、目標である菊花賞の出走権獲得のために10月16日のGⅡ京都新聞杯へ駒を進めた。陣営は同馬が、当時優先出走権が与えられていた5着以内に入り、菊花賞に駒を進めることは十分可能と考えていた。しかし、レースでは他馬が壁となり勢いを削がれたり、他の騎手の鞭が何度もスーパークリークの顔にあたるといった不利が祟ってまさかの6着に終わり、菊花賞出走は微妙なものとなった。ここでふたつの幸運が同馬を後押しすることになる。

     武豊は迷っていた。スーパークリークを含む5頭の馬が彼の菊花賞での選択肢として残っていた。10月のある日、武は候補馬全頭をもう一度見直すために各厩舎を訪れることにし、そして最後に見たスーパークリークを選ぶことに決めた。その時点で同馬の出走権は未確定だが、僅かなチャンスに賭けて追い切りも敢行し、それまでに騎乗した中で一番の出来であることを馬の背中から感じ取れたと後日答えている。一方、ビッグレッドファームの岡田繁幸はあるジレンマに悩んでいた。自分が認めたノーアテンションを配合して生まれたスーパークリークに開花の兆候が見え、ホースマンとしての嬉しさを感じてはいたが、前走の不利で菊花賞出走は不透明。出走予定の馬の中には2年前、自らが立ち上げたクラブ法人サラブレッドクラブ・ラフィアン所有のマイネルフリッセがいる。岡田はマイネルフリッセの出走を取り消し、スーパークリークにチャンスを与えるべきではないかと考え始めていたのだ。何せ三冠競走最終戦、菊花賞である。出資者や同馬を育てて調整に最善を尽くす中村均厩舎の気持ち、情熱、希望は痛いほどわかる。11月4日、枠順決定が行われるこの日にマイネルフリッセの出走取消が発表された。

     そして菊花賞。17番枠からスタートしたスーパークリークは中団のやや後方に付けながら、徐々に内側の位置を取りに行き、1周目のグランドスタンド前では内ラチ近くでヤエノムテキを見られる場所を確保した。向正面での折り合いも良く、鞍上の予想通り最終コーナーで内が開いた瞬間、スーパークリークはインを突いてスパートし、2着に5馬身差を付ける完勝でGI級の資質を証明した。

    1988年 菊花賞 ● 優勝 当初は除外対象も何とかゲートインにこぎつけると、内から鋭く伸びて5馬身差の快勝。陣営の期待に完璧な走りで応えた©H.Imai/JRA

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