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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    デビュー前に乗り越えた
    幼少期の2つの試練

    1997年 桜花賞 ● 2着 前哨戦で敗れたメジロドーベル(16番)と圧勝のキョウエイマーチ。二強の対決は後者のスピードに軍配が上がった©F.Nakao

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     牝馬クラシックの最有力と目されたメジロドーベルの3歳初戦はチューリップ賞。単勝1・3倍の断然人気に支持されたものの、ここで課題が表面化する。前半3ハロンが38秒3という超スローペースに、口を割って何度も頭を上げるなど折り合いを欠いて制御不能。それでもペースアップした中盤からは流れに乗り、直線を向いて先頭に立ちかける場面もあった。しかし前半の消耗は大きく3着に敗れた。

     迎えた桜花賞は、降り続く雨で不良馬場。1番人気は、報知杯4歳牝馬特別(現・フィリーズレビュー)で7馬身差圧勝のキョウエイマーチで単勝2・6倍。ドーベルは3・4倍で、二強と評価された。

     大外18番枠でも2番手につけ直線で抜け出したキョウエイマーチに対し、ドーベルは後方から徐々に位置取りを上げ、4コーナー5番手から直線外を追い上げた。しかしキョウエイマーチの圧倒的なスピードの前に4馬身差の2着。若い吉田豊には試練が続いた。

     オークスではさらに2頭に人気が集中したが、結果は明暗が分かれた。快足を飛ばして逃げたキョウエイマーチは直線で失速し11着。関東へは初遠征で、装鞍所から入れ込んでいたことなどが敗因として指摘された。一方、中団よりうしろからの追走だったメジロドーベルは直線で馬群の中から堂々と抜け出し、2着のナナヨーウイングに2馬身半差をつける快勝となった。

     レースだけを追うと、ときに敗戦がありながらもメジロドーベルは順調に出世街道を歩んできたようにも思える。しかしその生い立ちは、数奇な運命をたどってきた。

     4代母メジロクインは初仔のメジロボサツを産むとすぐに死んでしまった。唯一その血をつないだボサツは、朝日杯3歳Sなど重賞を3勝したが、桜花賞3着、オークス2着とクラシックには手が届かなかった。クイン、ボサツ、そして2代母のメジロナガサキまで、大久保洋吉の父である大久保末吉が管理した。母のメジロビューティーから洋吉が管理し、7戦して2勝をあげたがオークスを前に骨折、繁殖入りとなった。

     ドーベルは母ビューティーが12歳のときの仔だが、1歳上のサンデーサイレンスの仔は生まれてすぐに黄疸を発症し、感染症で死んだ。検査したところ、そのサンデーサイレンスだけでなく、メジロライアンとも“血液型の不適合”が判明する。サラブレッドは生まれてすぐに母親の初乳を飲むことで免疫を獲得するが、血液不適合の場合、初乳を飲むと最悪の場合死に至ることがある。ドーベル出産時には、たまたま直後に出産した別の繁殖牝馬がいたため、その初乳を飲ませることで乗り切った。

     さらにドーベルは明けて1歳になってすぐ、症状の重い剥離骨折を発症。これは社台ホースクリニックの協力を得ての手術で回復した。

     大久保洋吉厩舎でドーベルの担当となったのは、母のビューティーも担当した堀口良吉厩務員。しかしチューリップ賞の直前、62歳で急逝という悲しい出来事もあった。

    1997年 オークス ● 優勝 二強対決第二弾では、上がり最速の脚で雪辱(桃帽)。3代母、母が手にできなかったタイトルを獲得した©K.Yamamoto

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