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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    信頼を寄せ続けた鞍上の
    GI獲りへの思い切った策

    1991年 宝塚記念 ● 優勝 天皇賞(春)も勝利したマックイーンに対し戦法を変えた積極策。後ろを寄せ付けずついに勝利を手にした©H.Imai/JRA

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     “三強”から“一強”へ。宝塚記念は、メジロマックイーンだけが単枠指定で単勝1・4倍。メジロライアンは4・1倍で2番人気。横山は思い切った作戦に出た。ライアンは早め3番手でマックイーンよりも前の位置取り。3コーナーの坂の頂上から一気に動いて先頭に立った。早すぎる。見ている多くの人がそう思ったはずだ。

     この年の宝塚記念は、阪神競馬場の改修によって京都競馬場での開催だった。京都の3コーナーは“ゆっくり上って、ゆっくり下る”がセオリー。仕掛けるのはそのあと。坂の下りで勢いにまかせて動いてしまってはゴールまでもたない。しかし横山は、勢いのついたライアンを抑えることはしなかった。

     直線、ずらりと横に広がった9頭を引き連れ、ライアンは芝の状態がいい馬場の真ん中を通って単独先頭。後続馬群の外からマックイーンが抜けてきたが、1馬身半差で振り切ってのゴール。ウイニングランからスタンド前に戻った横山は、ライアンの鞍上でヘルメットをとってファンに一礼。「僕の馬が一番強い」と言い続け、6度目の挑戦でようやく掴んだGIタイトルだった。

     横山にとっての宝塚記念勝利は、71年にメジロムサシで制した富雄との父子制覇。またその年はマックイーンの祖父メジロアサマが2着で、20年ぶりのメジロ・ワンツーでもあった。

     念願のGI制覇を果たしたメジロライアンだったが、その後は右前脚に発症した屈腱炎との戦いとなった。なんとか復帰した有馬記念は12着、5歳初戦のアメリカジョッキークラブCは1番人気に支持されるも6着に沈んだ。

     それでも強めの追い切りができた日経賞では斤量59㌔ながら、直線で抜け出す強いレースを見せた。得意の道悪(重馬場)で、脚元にあまり負担がかからなかったことも味方した。

     しかし直後に屈腱炎が再発。天皇賞(秋)に向けて再起が図られたものの状態が思わしくなく、10月25日の東京競馬場で引退式が行われた。

     種牡馬としてアロースタッドに繋養されたライアンは、96年にデビューした初年度産駒から、メジロドーベル(阪神3歳牝馬S)、メジロブライト(ラジオたんぱ杯3歳S)などの活躍で、新種牡馬ランキング首位となった。しかし徐々に受胎率の低下が見られ、15シーズン目の2007年を最後に種牡馬引退。天皇賞(春)を制して種牡馬となったメジロブライトも10歳で早逝。父アンバーシャダイからメジロブライトまで3代続いた内国産の父系が途切れてしまったのは残念だった。(文中敬称略)

    メジロライアン MEJIRO RYAN

    1987年4月11日生 牡 鹿毛

    アンバーシャダイ
    メジロチェイサー (父メジロサンマン)
    馬主
    (有)メジロ牧場
    調教師
    奥平真治(美浦)
    生産牧場
    メジロ牧場
    通算成績
    19戦7勝
    総収得賞金
    4億9204万400円
    主な勝ち鞍
    91宝塚記念(GI)/92日経賞(GⅡ)/90京都新聞杯(GⅡ)/90弥生賞(GⅡ)
    JRA賞受賞歴

    2021年6月号掲載

    斎藤修 OSAMU SAITO

    1964年生まれ。地方競馬雑誌「ハロン」元編集長。現在は「ウェブハロン」で執筆のほか、ドバイワールドC、ブリーダーズC、香港など国際競走にも足を運ぶ。「優駿」「競馬ブック」などで地方競馬を中心に執筆。グリーンチャンネルでも解説として活躍している。著書に「地方競馬の黄金時代 廃競馬場に消えた伝説の名馬たち」(共著)。

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