story 未来に語り継ぎたい名馬物語
未来に語り継ぎたい名馬物語 63
挫折と栄光を横山典弘騎手と共に
メジロライアンの歩んだ道
2021年6月号掲載掲載
信頼を寄せ続けた鞍上の
GI獲りへの思い切った策
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“三強”から“一強”へ。宝塚記念は、メジロマックイーンだけが単枠指定で単勝1・4倍。メジロライアンは4・1倍で2番人気。横山は思い切った作戦に出た。ライアンは早め3番手でマックイーンよりも前の位置取り。3コーナーの坂の頂上から一気に動いて先頭に立った。早すぎる。見ている多くの人がそう思ったはずだ。
この年の宝塚記念は、阪神競馬場の改修によって京都競馬場での開催だった。京都の3コーナーは“ゆっくり上って、ゆっくり下る”がセオリー。仕掛けるのはそのあと。坂の下りで勢いにまかせて動いてしまってはゴールまでもたない。しかし横山は、勢いのついたライアンを抑えることはしなかった。
直線、ずらりと横に広がった9頭を引き連れ、ライアンは芝の状態がいい馬場の真ん中を通って単独先頭。後続馬群の外からマックイーンが抜けてきたが、1馬身半差で振り切ってのゴール。ウイニングランからスタンド前に戻った横山は、ライアンの鞍上でヘルメットをとってファンに一礼。「僕の馬が一番強い」と言い続け、6度目の挑戦でようやく掴んだGIタイトルだった。
横山にとっての宝塚記念勝利は、71年にメジロムサシで制した富雄との父子制覇。またその年はマックイーンの祖父メジロアサマが2着で、20年ぶりのメジロ・ワンツーでもあった。
念願のGI制覇を果たしたメジロライアンだったが、その後は右前脚に発症した屈腱炎との戦いとなった。なんとか復帰した有馬記念は12着、5歳初戦のアメリカジョッキークラブCは1番人気に支持されるも6着に沈んだ。
それでも強めの追い切りができた日経賞では斤量59㌔ながら、直線で抜け出す強いレースを見せた。得意の道悪(重馬場)で、脚元にあまり負担がかからなかったことも味方した。
しかし直後に屈腱炎が再発。天皇賞(秋)に向けて再起が図られたものの状態が思わしくなく、10月25日の東京競馬場で引退式が行われた。
種牡馬としてアロースタッドに繋養されたライアンは、96年にデビューした初年度産駒から、メジロドーベル(阪神3歳牝馬S)、メジロブライト(ラジオたんぱ杯3歳S)などの活躍で、新種牡馬ランキング首位となった。しかし徐々に受胎率の低下が見られ、15シーズン目の2007年を最後に種牡馬引退。天皇賞(春)を制して種牡馬となったメジロブライトも10歳で早逝。父アンバーシャダイからメジロブライトまで3代続いた内国産の父系が途切れてしまったのは残念だった。(文中敬称略)
メジロライアン MEJIRO RYAN
1987年4月11日生 牡 鹿毛
- 父
- アンバーシャダイ
- 母
- メジロチェイサー (父メジロサンマン)
- 馬主
- (有)メジロ牧場
- 調教師
- 奥平真治(美浦)
- 生産牧場
- メジロ牧場
- 通算成績
- 19戦7勝
- 総収得賞金
- 4億9204万400円
- 主な勝ち鞍
- 91宝塚記念(GI)/92日経賞(GⅡ)/90京都新聞杯(GⅡ)/90弥生賞(GⅡ)
- JRA賞受賞歴
- ―
2021年6月号掲載