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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    踊り場を抜け出した
    新コンビ結成の経緯

    2008年 小倉記念 ● 優勝 3歳時は1勝、直近2戦は大敗したが、池添騎手とのコ ンビ2戦目で復権の足掛かりとなる勝利を飾った ©H.Kawai

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     その後のドリームジャーニーは雌伏の時期がしばらく続く。皐月賞8着、ダービーは5着、武豊と新コンビを組んだ秋は始動戦の神戸新聞杯で豪快な追い込みを決めたが、菊花賞では折り合い難を露呈して5着に敗れた。マイル路線に照準を定めた翌春も、マイラーズC14着、安田記念10着と大敗を重ねる。周囲からは“早熟”との声も上がり始めたが、池江は血統に裏打ちされた伸びしろを信じ、「まだまだ強くなる馬だから、成長の芽を摘んではならない」と自分に言い聞かせていた。

     踊り場を抜け出したのは同年8月の小倉記念。前週に騎乗停止処分を受けた武豊にかわり、安田記念(=武豊は先約があったスズカフェニックスに騎乗)では“代打”として手綱を取った池添謙一と再びコンビを組んだレースである。

     この08年夏、北海道を騎乗の拠点にしていた池添が、函館での先約をキャンセルしてまで小倉に駆け付けたのは、安田記念の騎乗を通じて大きな手応えを感じていたから。一方の池江も「反応が鋭すぎるぐらいの馬をなだめながら、ジワッとポジションを上げていくことができるジョッキー」と池添の騎乗技術を高く評価していた。

     後方追走から徐々に進出して鋭い末脚を発揮、後続に3馬身差をつけた小倉記念の勝ちっぷりは、池江がイメージしていた通りのもの。同年の秋、武豊にはウオッカ、メイショウサムソンなどのお手馬が控えていたこともあり、以降の鞍上は池添に固定される。のちのオルフェーヴルにも繋がっていく“イケ・イケ・コンビ”がこうして結成された。

     続く朝日チャレンジCも快勝、秋の天皇賞では「左回りだと内にモタれてしまう」弱点を露呈して10着に沈んだが、初めて挑んだ有馬記念ではダイワスカーレットの4着に追い込み、着実な地力の強化を印象付けた。一段とステップアップしたのは翌春のこと。断然人気のディープスカイをマークして進み、最後はねじ伏せるようにして抜け出した大阪杯が重要な伏線になった。

     その後は金鯱賞をステップに宝塚記念へ進むプランも検討されたが、大阪杯の勝ちっぷりに意を強くした池添の進言もあって春の天皇賞にトライ。結果的には距離の壁に跳ね返された格好でマイネルキッツの3着に敗れたものの、ベストとはいえない長丁場を克服するため、チーム一丸となって馬に“我慢”を教え込んだ取り組みが、さらなる地力の強化と真の本格化を呼び込んだ。

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