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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    余裕がありながらも
    日本レコードを記録

    ©K.Yamamoto

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     この頃、馬産地ではすでにサクラバクシンオーを種牡馬として招致する動きが活発になっており、最終的には彼が生を受けた社台ファームの関連施設であり、サンデーサイレンスやトニービンなどの一流種牡馬も繋養されていた社台スタリオンステーションに入ることが決定。次走のスプリンターズSが引退レースと定められた。

     穏やかな陽が降り注ぐ冬晴れのもと、彼は王者の名にふさわしい、堂々たるラストランを披露する。

     この年から外国馬にも開放され、米G1のブリーダーズCスプリントで2着に入ったソビエトプロブレムの参戦が注目を浴びたこの一戦。激しい先陣争いを目前にしながら、サクラバクシンオーは4~5番手を追走。3コーナーから“馬なり”でポジションを押し上げると、直線半ばで先頭へ。そして鞍上のゴーサインを受けるとあっという間に後続を突き放し、2着に4馬身差を付けてしまった。騎手の小島には勝利を確信してからフォームを美しく整え直してゴールを迎えるほどの余裕があった。走破タイムの1分07秒1は、またも日本レコード。鳴り物入りで出走したソビエトプロブレムはそこから1秒3も遅れていた。

     JRA賞最優秀短距離馬のタイトルを手土産にスタッドインしたサクラバクシンオーは初年度から100頭を超える繁殖を集める人気を博した。サクラユタカオーから受け継いだスピード能力を直仔へ存分に伝え、ショウナンカンプ、グランプリボス、ビッグアーサーというスプリント~マイルのGI馬を送り出し、種牡馬としても大成功を収めた。また、キタサンブラックの母の父として偉業を支えたのは前述のとおりである。
     

          ◇

    「すごくスピードがあるのに、ぜんぜん速く感じないのは、お父さんのサクラユタカオーとそっくりだった。バクシンオーに乗るときは、いつもユタカオーの血を感じていたよ。そして、スプリント戦であっても慌てず騒がず、2000㍍のレースのつもりで乗ること。有り余るほどのスピードを持っていたバクシンオーにはそれでちょうどよかったんだ」

     調教師としての引退を迎えた18年の春、騎手時代に全戦で手綱をとった小島太にサクラバクシンオーのことを訊ねたとき、誇らしげにそう振り返った。

     かつて格下に見られていた短距離路線がようやく脚光を浴びはじめた時代、日本が誇るスピードの結晶として現れた初の本格的チャンピオンスプリンター。それがサクラバクシンオーなのである。(文中敬称略)

    1994年スプリンターズS●優勝:前半3ハロン32秒4の激流を好位で運び、後続に4馬身差を付けて圧勝。当時の日本レコードで、現役生活の掉尾を飾った©M.Yamada

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    ©K.Yamamoto

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    サクラバクシンオー SAKURA BAKUSHIN O

    1989年4月14日生 牡 鹿毛

    サクラユタカオー
    サクラハゴロモ(父ノーザンテースト)
    馬主
    ㈱さくらコマース
    調教師
    境勝太郎(美浦)
    生産牧場
    社台ファーム
    通算成績
    21戦11勝
    総収得賞金
    5億2125万3000円
    主な勝ち鞍
    94・93スプリンターズS(GI)/94スワンS(GⅡ)/94ダービー卿チャレンジT(GⅢ)/ 92クリスタルC(GⅢ)
    JRA賞受賞歴
    94年JRA賞最優秀短距離馬

    2019年8月号

    三好 達彦 TATSUHIKO MIYOSHI

    1962年生まれ、香川県出身。立教大学文学部卒業。雑誌やweb媒体などで競馬のほか、サッカー関連の記事も執筆。

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