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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 44

舞台を問わない平成の万能型
アグネスデジタルの旅路

合田直弘 NAOHIRO GODA

2019年7月号掲載

初勝利はダート1200㍍、
ラストランは芝2500㍍の有馬記念―。
アグネスデジタルは32戦のキャリアで
芝、ダートそれぞれで頂点に立った
だけでなく、中央、地方、海外と異なる
3つのフィールドでGI勝利を挙げた
唯一の存在でもある。
戦う場所を選ばず、輝き続けた
その軌跡を改めて辿る。

    評価されうる血統ながら
    お値打ちだった米国産馬

    ©K.Yamamoto

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     アグネスデジタルは、1997年5月15日にケンタッキーで生まれた。

     母のチャンシースクウォーは、仏国の名門馬産家ニアルコス家による北米における生産馬だ。名馬にして名種牡馬のブラッシンググルームがいるファミリーを背景に持つ同馬を、ニアルコス家は1歳7月のキーンランドセールに上場。馬主ジャネル・グラム氏の代理人に13万ドルで購買され、セシル・ボレル厩舎に入厩している。チャンシースクウォーは3歳4月にオークローンパークのメイドンでデビューし、見事に初戦勝ちを飾ったが、その後は条件戦で8連敗を喫し、4歳シーズン一杯で現役を退いた。

     総収得賞金1万9040ドル(当時のレートで約195万円)という不本意な成績に終わった同馬は、初仔となるクラフティプロスペクターの仔を受胎した状態で96年のノベンバーセールに上場され、14万5千ドルでケイツビー・クレイ氏とピーター・キャラハン氏のパートナーシップが購買した。すなわち、同馬の初仔の生産者はクレイ氏とキャラハン氏の両名ということになる。

     眩(まばゆ)い栗毛を身にまとい、右前肢と左後肢に長めの白いソックスを、右後肢に短めの白いソックスを履いた同馬を、生後2週間も経たぬ頃に見初めたのが、当時栗東で開業していた白井寿昭調教師だった。親交の深かったエージェントの櫻井盛夫氏とケンタッキーの牧場を廻り、相当数の当歳馬や1歳馬を見た白井調教師が、全行程を終えた後に「一番良く見えた馬」として挙げたのが、チャンシースクウォーの初仔だったのだ。

     白井調教師に勧められて同馬を購買することになった渡辺孝男オーナーは、後にインタビューで「(輸送費・関税込みで)当時で2800万円ぐらいだった」と述べている。すなわち、馬代金だけだと20万ドルに満たない価格だったわけだ。

     84年に種牡馬入りした父クラフティプロスペクターは、初年度産駒から米G2ベルエアHなど3重賞を制したプロスペクターズギャンブルを筆頭に、96年末までに9頭の重賞勝ち馬を輩出。勝ち上がり率が高いという特性もあり、95年は全米リーディング9位に入って自身初のトップ10入りを果たし、翌96年には7位まで躍進していた。チャンシースクウォーに交配された96年の種付料は2万5千ドルで、大人気とまでは言えないまでも、北米の生産者の間でそれなりに評価の高かった種牡馬だったことは間違いない。前述したように母は1勝馬だが、祖母アリカンスの産駒からはこの段階で2頭の準重賞勝ち馬が出ていて、もう一世代遡ればブラッシンググルームがいるという牝系も、水準以上の評価を受けてしかるべきものだ。

     そうであるならば、20万ドル以下というのはかなりのお値打ち価格である。聞くところによると、それほど見栄えの良い馬ではなかったようで、馬の良し悪しの判断基準は人それぞれではあるものの、後に同馬が海外遠征をした際に「目立つ馬ではない」という感想を筆者も複数の競馬関係者から聞いたから、少なくとも万人が目を瞠(みは)る馬ではなかったことは確かである。そんな仔馬に目をつけ、海外をあわせて9億5千万円近い賞金を収得する馬に育てたのだから、白井調教師の相馬眼と育成技術には敬服せざるをえない。

     そして、アグネスデジタルが渡辺氏の所有馬となって以降、この血統の価値は急騰することになった。

     デヴィアスコースが米G1シガーマイルを制し、父クラフティプロスペクターにとって初のG1勝ち馬となったのは、97年11月のことだった。

     祖母アリカンスの4番仔ルールが産んだエンタイスが英G2ナッソーS(現在はG1)で2着となったのが97年8月で、99年9月には同じくアリカンスが97年に産んだ牡馬ロイヤルキングダムが英G2ロイヤルロッジSを制し、翌年のクラシック候補ともてはやされることになった。

     そして、99年9月に日本でデビューを果たしたアグネスデジタルが、芝・ダートを問わぬ縦横無尽の活躍を見せることになったのだ。

     アグネスデジタルの3歳年下の半妹(父プルピット)が01年のキーンランド・ジュライセールに上場されると、各国の大物生産者が食指を動かし、最終的にクールモアグループが落札した時には、価格は165万ドルまで跳ね上がっていた。

     97年5月というタイミングを逃していれば、この血統を廉価で手に入れることはできなかったわけで、そういう意味では渡辺氏は強運の持ち主と言えよう。

    アグネスデジタルは芝ダートで合計6つのGIタイトルを積み上げた(写真は最後のGⅠ勝利となった03年安田記念)©H.Suga

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    1999年全日本3歳優駿●優勝:ダートで2勝を挙げ、2歳(現表記)シーズン最終戦の同レースで1番人気に応えて快勝。当時はシャドーロールを着用していた©H.Ozawa

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    2000年マイルチャンピオンシップ●優勝:的場均騎手を背に挑んだ同レース。戦前は13番人気の伏兵評価に留まったが、驚異の末脚を繰り出しGⅠ初制覇を飾った©M.Watabe

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    2001年南部杯●優勝:デビュー当初に主戦場としていたダートでの初のビッグタイトル。ウイングアローやノボトゥルーら砂の強豪を退けてのものだった©H.Watanabe

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