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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    牡馬陣を撃破して
    最高のかたちで“世界戦”へ

    ©K.Yamamoto

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     年が明けて4歳になったヒシアマゾンは、アメリカへと向かう。G1・芝9ハロンのサンタアナハンデ(現在はG2)に出走するためだったが、ここで思わぬアクシデントに見舞われる。硬い馬場で脚を痛めたため、レースを使わないまま帰国せざるを得なくなってしまったのだ。そのため春シーズンは治療に専念し、秋の天皇賞には出走できないため、目標をジャパンCへと切り替えた。

     復帰戦となった7月の高松宮杯は久々の実戦が堪えたか5着に終わったが、続くオールカマー、京都大賞典でまたも牡馬陣を撃破。最高のかたちで“世界戦”へと臨むことになった。

     天皇賞(秋)で大敗を喫したものの厚い支持を集めたナリタブライアンに続き、2番人気で迎えた一戦。レースはスローペースになったが、ヒシアマゾンはいつもどおりに前半は後方待機に徹した。3コーナーから徐々に位置を押し上げながら向かった直線。怒涛の末脚を繰り出して猛追したが、日本競馬を熟知したマイケル・ロバーツが騎乗し、遅いペースを読んでいち早く抜け出したドイツのランドを捉え切れず、1馬身半差の2着に終わった。もちろん日本調教馬としては最先着だったが、不出走に終わった米国遠征のかたきをジャパンCで取ろうと意気込んでいた陣営にとっては悔しすぎる敗戦となった。

     連戦の疲労からか、有馬記念は5着に終わったヒシアマゾンはその後も疲労が抜けず、5歳となった96年は春シーズンの終盤まで休養を余儀なくされる。スポット参戦となった安田記念もいいところなく10着に敗れると、再び実戦から遠ざかる。しかし手負いの女王に朗報が届いた。この年から3歳牝馬のため新たに秋華賞が創設され、エリザベス女王杯が古馬に開放されたのである。

     スタッフによる懸命な立て直しの努力で間に合ったヒシアマゾンは、5カ月の休養を経た“ぶっつけ”でエリザベス女王杯に出走する。好スタートで先団を進んだ道中、行きっぷりは悪くなかった。久々を苦にせず、勝ち負けに加わった。しかし直線で一瞬、内へ斜行して他馬の進路をカットしてしまう。結果、ダンスパートナーに次ぐ2位で入線しながら7着に降着となった。

     一度離れたツキが彼女のもとへ戻ってくることはなかった。有馬記念を5着で終えたヒシアマゾンは、陣営から次年度も現役を続行する旨が発表されたが、とうとう脚元が悲鳴を上げる。屈腱炎のため、ついにターフを去ることになった。

      ◇

     勝ったGⅠレースは阪神3歳牝馬Sとエリザベス女王杯の二つだけだが、全盛期のナリタブライアンに真っ向から勝負を挑んだ有馬記念、“世界”へあと一歩と迫ったジャパンCなど、価値ある敗戦もあったヒシアマゾン。そして筆者は、クリスタルCの衝撃的なパフォーマンスだけをもってしても、彼女は日本の競馬史で特筆されてしかるべき存在だと考えている。
    (文中敬称略)

    95年の京都大賞典では前年、前々年のジャパンC勝ち馬マーベラスクラウン、レガシーワールドらを抑えて勝利©K.Yamamoto

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    ヒシアマゾン HISHI AMAZON

    1991年3月26日生 牝 黒鹿毛

    Theatrical
    Katies(父ノノアルコ)
    馬主
    阿部雅一郎氏
    調教師
    中野隆良(美浦)
    生産者
    Masaichiro Abe(米国)
    通算成績
    20戦10勝
    総収得賞金
    6億9894万8000円
    主な勝ち鞍
    94エリザベス女王杯(GⅠ)/93阪神3歳牝馬S(GⅠ)/95京都大賞典(GⅡ)/95オールカマー(GⅡ)/94ローズS(GⅡ)/94ニュージーランドトロフィー4歳S(GⅡ)
    JRA賞受賞歴
    93最優秀2歳牝馬/94最優秀3歳牝馬/95最優秀4歳以上牝馬

    2018年8月号

    三好 達彦 TATSUHIKO MIYOSHI

    1962年生まれ、香川県出身。立教大学文学部卒業。雑誌やweb媒体などで競馬のほか、サッカー関連の記事も執筆。

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