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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    壮行レースの安田記念を圧勝
    狙いは仏のマイルG1に

    97年スプリンターズSは、主戦・岡部幸雄騎手とのコンビでは初となるGI制覇©H.Imai/JRA

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     2月に藤沢厩舎に入厩したシャトルは、「体がゆるくて、ゲート内で駐立はできるのだけれど、スタートが切れなくて」(岡部)三度ゲート試験に落ちている。それに加え、追った後に向こうずねを非常に痛がったこともあって新馬戦には間に合わず、4月に3歳未勝利戦でデビュー。少しでも脚への負担を減らそうと東京ダート1600㍍が選ばれている。デビュー戦から500万下、菖蒲ステークスと三連勝し、菩提樹ステークスで2着に敗れ連勝記録は途切れたが、3カ月の休養を挟みダート戦のユニコーンステークスで重賞初制覇。藤沢調教師はこのレースが例年の中山1800㍍ではなく東京で行われたマイル戦であったことを出走の理由としており、ダート路線を歩ませるつもりはなかったと言う。ここまですべてを岡部ジョッキーが手綱を取った。

     古馬との初対戦となったスワンステークスとマイルチャンピオンシップは横山典弘ジョッキーを背に連勝。タイキシャトルはデビューから7戦6勝という成績でGⅠを制覇した。この二戦、岡部ジョッキーが同厩舎のシンコウキングに騎乗したための乗り替わりだったが、スワンステークスの後「ずるいや岡部さん、こんないい馬に乗ってたんだ」と横山ジョッキーが言ったというのはもはや伝説だ。

     3歳最後のレースは岡部ジョッキーに戻ったスプリンターズステークスで、1・9倍の1番人気に応えて完勝。超ハイペースの4番手につけて抜け出し突き離すという現実離れした走りに、ファンは酔いしれた。マイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスの連覇も史上初の偉業であった。

     4歳になって放牧先で蹄に不安が出たタイキシャトルは、美浦トレセン近くのミホ牧場に戻り、装蹄師の志賀勝雄さんの手当てを受ける。すでにオーナーサイドには海外遠征のプランがあって、藤沢調教師から安田記念に使いたいと聞かされた志賀装蹄師は、通常8本の釘でとめる蹄鉄を4本に減らし対応する。

     5カ月ぶりにターフに戻ったタイキシャトルは、京王杯スプリングカップ(東京芝1400㍍)を1分20秒1のコースレコードで快勝。壮行レースとなった安田記念に臨んだ。

     前日から降り続く雨で馬場状態は不良。例を見ないほどの極悪馬場となったが、シャトルは先行して力強く抜け出し圧勝。岡部ジョッキーには自信があったという。「ここで勝った負けたなんて言ってるようじゃ、ヨーロッパの馬場なんて無理。いい練習になった」と振り返る。

     いくつかの候補の中から大樹ファームの副社長ジョン・マルドゥーン氏の強い勧めで選ばれたのは、フランス伝統のマイルG1ジャックルマロワ賞(ドーヴィル芝直線1600㍍)である。フランスでの受け入れ先は、藤沢調教師がニューマーケットで修業していたときの友人であるトニー・クラウト氏の厩舎に決まった。シャンティイの隣ラモルレイにあるクラウト厩舎は、タイキシャトルと現地で購買した調教パートナー・サニーヌをあたたかく受け入れ見守ってくれた。タイキシャトルはコの字型に並んだど真ん中の馬房で、王様のようにふるまっていた。付き添うのは終始マイペースの稲葉正次厩務員と神経がこまやかな松田幸吉調教助手、そして英語が堪能な多田信尊レーシングマネージャー。

     シーキングザパールの勝利を見た後、シャンティイに移動した私は、シャンティイ調教場で走るタイキシャトルがあまりにものびのびとしているのに驚いた。飛行機の中でも終始リラックスしていたというから、何事にも動じない馬なのだろう。海外遠征には一番の強みだ。

    98年安田記念は雨・不良馬場でのレースとなったが、条件など関係なく、力の違いを見せつけて快勝©H.Imai/JRA

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