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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 29

世界を制した最強マイラー
タイキシャトルのスケール

谷川 直子 NAOKO TANIGAWA

2017年11月号掲載

国内で4つ、さらにフランスでもG1を制したタイキシャトル。いまも"最強マイラー"として名が挙がる同馬は、日本競馬に何を残したのだろうか。

     1998年8月16日、フランスのドーヴィル競馬場には、日本からのファンや報道陣が大挙してつめかけていた。史上最強のマイラー・タイキシャトルがG1ジャックルマロワ賞に出走するのだ。抜けるような青空。8月の輝く日光が美しい避暑地ドーヴィルの街に降り注ぐ。

     このレースに先立って8月9日に、同じドーヴィル競馬場の芝1300㍍のG1モーリスドゲスト賞を4歳牝馬シーキングザパールが勝ち、日本調教馬として史上初の海外G1制覇を遂げていた。レコードタイムでの逃げ切り勝ちに現地は騒然となり、レース後勝った武豊ジョッキーが「来週来る馬はもっと強い」とコメントしたため、タイキシャトルは一気に注目されることになる。

     シャンティイのラモルレイにあるトニー・クラウト厩舎に入厩していたタイキシャトルのもとには、日本人記者、フランスのテレビクルーなどが次々訪れていた。私が厩舎を訪ねたときには、ちょうどイギリス競馬ファンにはおなじみの、チャンネル4で競馬番組の司会を務めるブラフ・スコットまでがやって来ていて驚く。シーキングザパールがニューマーケットで調教を行い謎の馬のまま、いわばゲリラ的な勝ち方をしたのに対し、タイキシャトルは“王道”を歩んでいた。

     さらりと書いたが、日本調教馬の海外G1制覇というのは、長い間日本の競馬関係者にとっての悲願であった。1958年のハクチカラから始まった海外遠征は、ほとんどが惨敗で、81年にジャパンカップが創設された後、シンボリ牧場の和田共弘氏と社台ファームの吉田善哉氏が積極的に海外遠征を続けたが、勝利にはつながらなかった。中でも86年に日本競馬史上最強と言われたシンボリルドルフがアメリカに遠征し、サンルイレイステークスで7頭だての6着に敗れたことに競馬界全体がショックを受け、ルドルフでダメならほかの馬ではとても無理だと遠征熱は冷めてしまった。

     90年代に入り、香港国際競走が少しずつ整備され、輸送時間の短さと時差1時間という地の利を生かして日本馬はまた海を渡り始める。95年にはフジヤマケンザンが香港国際カップを勝ち、ようやくハクチカラ以来36年ぶりの海外重賞制覇。次はG1タイトルを、というのがホースマンたちの夢となって戻ってきた。

     フジヤマケンザンを管理する森秀行調教師と共に、当時海外遠征に果敢に挑んでいたのがタイキシャトルを管理する藤沢和雄調教師であった。藤沢厩舎からは95年にクロフネミステリー、96、97年はタイキブリザードがアメリカ競馬に挑戦。鞍上はすべて岡部幸雄ジョッキー、オーナーは大樹ファームである。

     海外遠征というのはいくら人間側にやる気があっても、能力と適性のある馬が生まれ入厩してこなければ実現不可能だ。そこへ前述の二頭と同じ大樹ファームの所有馬タイキシャトルが現れた。タイキシャトルはデヴィルズバッグ産駒の外国産馬で、当時はクラシックレースへの出走権がなかった。母のウェルシュマフィンは米愛で15戦5勝という成績を残していて、岡部ジョッキーも騎乗経験があった。「非常にまじめな馬」だったそうで、それはシャトルにも受け継がれている。

    1998マイルチャンピオンシップ©H.Imai/JRA

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