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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    新潟で早めにデビュー
    余裕をもってクラシックへ

     シンボリルドルフがデビューしたのは1983年7月23日。今でいう2歳(以下、本文中の表記は現在の数え方)の夏だ。後の七冠馬を管理していたのは美浦の野平祐二。そして、当時この厩舎で調教助手としてシンボリルドルフに跨っていたのが、現在調教師となっている藤沢和雄だった。

     藤沢は言う。

    「オルフェーヴルもそうだったけど、良い馬を夏の早い時期に新潟でデビューさせるのは、今でこそ珍しくない。でも、当時としては滅多にないことだった」

     一旦、言葉を切った藤沢は再度、口を開き、続けた。

    「この時期にデビューさせたという思考こそが、ルドルフを最強馬にさせた要因だったよね」

     これには少し説明が必要だろう。

     ひと昔前は早い時期にデビューさせても、短い距離のレースしかなかった。3歳の春までの期間が長いこともあり、クラシック本番に直結しない例が多く、故に素質馬は秋以降にデビューさせることが普通だった。

     しかし、現在はクラシックに直結する距離のレースも早い時期から組まれるようになった。また、トレセン内外の施設の充実や医学の発展もあり、以前に比べ故障で戦線離脱する馬が減ってきた。加えてクラシックに向かう路線の充実やトライアルが整備されたことなどから、各馬のデビューが早まってきた。

     早めにデビューさせて賞金を稼いでおき、余裕を持ってクラシック本番に向かうという路線は現在のスタンダードといってもよいほどで、昔のように悠然と構えていては、クラシックに乗れない可能性が高くなってきたのだ。

     ところが、今から32年も前に、そんな路線を敷いたのがシンボリルドルフだったというわけだ。そして、それこそが、同馬が史上最強馬になり得た大きな要因だと藤沢が言うのは何故か……。

    「兄と同じ轍は踏めないという気持ちが強かったのでしょう」

     野平の胸の内を藤沢はそう推測した。

     シンボリルドルフには4つ違いの兄がいた。父パーソロン、母スイートルナのいわゆる全兄は、名をシンボリフレンドといった。

     シンボリフレンドは2歳の札幌でデビューすると1000㍍戦で2着に大差をつける圧勝。とんでもない馬が現れたと誰もが思った。しかし、同馬が2勝目を挙げるのは3歳の5月。ダービーを目前に控えた400万(現在の500万)条件だった。

     その間、8度も出走したが、掲示板に載れば良い方で、二桁着順に大敗することも珍しくなかった。藤沢は言う。

    「素質の高い馬だったけど、新馬を勝った後も札幌に滞在しているうちに、気性面がどんどん難しくなって、競馬へいってこの馬の良さを出せなくなってしまいました」

     4年後に厩舎にやってきたシンボリルドルフにも高い素質を感じた野平が、兄と同じ末路を辿らないように、普段から頭を悩ませている様をみていたのが藤沢だったのだ。

     新潟での早めのデビューを選び、その後、余裕をもった臨戦課程でクラシックへ向かわせることにしたのも、兄とは違う路線を敷くことで、同じ過ちを繰り返さないようにしようという方策だったわけだ。

    「また、時代を先取りしていたシンボリの戦略も大きかった」

     藤沢はそう続け、オーナーであるシンボリ牧場の和田共弘の名を挙げた。

    「今でこそ牧場でも調教ができる施設というのは当たり前だけど、その先駆者が和田オーナーでした。シンボリ牧場の調教施設は当時のトレセンよりも素晴らしかったし、オーナー自身の考え方にも先見の明があったよね」

     単に整備されたトラックがあるという話ではなく、例えば馬運車への積み下ろしの際にも驚かされたと言う。馬運車に積む時は渡し板を上り、下ろす時は下るのが当たり前の時代、シンボリ牧場では違った。地面の高さを馬運車と同じレベルにすることで、平行に渡された渡し板を馬達は歩いて積み下ろしされた。今で
    は各地にみられるそんな設備を、シンボリ牧場ではどこよりも早く導入。少しでも馬にかかる負担を軽減させていた。

     そういった配慮は和田の思考面でも同様だったと言う。

    「トレセンに入厩して、ゲート試験を合格した後、一度、牧場に戻す。そうすることで再入厩後は仕上がり次第、デビューできる。今ではどの厩舎でもやっているそんなことを和田さんは当時からやっていた。もちろん、シンボリルドルフもそうやってデビューを迎えたんだ」

     結果、これが奏功した。

     新馬戦を快勝したシンボリルドルフは、3カ月以上の間隔を開けて2度目のレースに臨むと、ここも楽勝。さらに1カ月後の3戦目も勝利し、3戦3勝で2歳シーズンを終えている。

     芝1000㍍戦の新馬戦では手綱をとる岡部幸雄に対し、野平が「1600㍍のレースと思って乗ってください」と言い、1600㍍だった2、3戦目では「2400㍍戦を意識して乗ってください」と伝えた。そして、岡部も実際に言われた通りに騎乗したという話は有名だ。

     その心は短距離戦だからといって短距離のレースをしなくてよいということで、すなわち当初からクラシックを意識して走らせていたというわけだ。

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