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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 73

すべてが圧巻だった全4戦
フジキセキが駆け抜けたその軌跡

辻谷秋人 AKIHITO TSUJIYA

2022年6月号掲載掲載

大種牡馬サンデーサイレンス初年度産駒の代表格だったフジキセキ。
短い競走馬生活ながら、その存在は日本競馬界に衝撃と新たな価値観をもたらした。

    ©M.Yamada

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     サンデーサイレンスが日本で種牡馬になる。

     そのニュースはたいへんな驚きを持って、日本の競馬ファンに迎えられた。

     1989年のアメリカ三冠レースのうち、ケンタッキーダービーとプリークネスSを勝ち、さらにその年のブリーダーズカップ・クラシックをも制した世界的名馬が、いきなり日本で種牡馬になるというのである。とてもにわかには信じられない話であり、ほとんど衝撃的といってもいい出来事だった。

     だからサンデーサイレンスの初年度産駒が競走年齢を迎えた94年、競馬界最大の話題は「サンデーサイレンスの子どもたち」だったといっても、あながち言いすぎではない。

     そして、サンデー産駒が見せたレースとその活躍ぶりは、サンデー種牡馬入りのニュースのさらに上をいく衝撃を人々に与えることになる。最初の2歳戦となった札幌で複数の馬が新馬勝ちを果たすと、札幌3歳S(レース名の馬齢は当時。以下同)ではいきなりのワンツーフィニッシュを決めてしまったのだ。そして、その後も産駒たちのめざましい活躍は途切れることなく続いた。

     そんなサンデー初年度産駒の中でも、当歳時から「一番馬はこれ」と評価されていたのが、ミルレーサーを母とする青鹿毛の牡駒だった。父と同じ毛色を持つこの馬は、出生直後に齊藤四方司に購入され、フジキセキと名付けられた。「フジ」は富士山、「キセキ」は輝石、奇跡、軌跡のトリプルミーニングとなる。

    父サンデーサイレンス 1990年に種牡馬として来日したサンデーサイレンス。その後、日本競馬界に計り知れない影響を与えた©H.Imai/JRA

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