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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    思わぬ敗戦を喫するも異例の
    ステップで牝馬三冠最終戦へ

     ノースフライト、愛称フーちゃんのことを書こうとすると「天才少女」という言葉がすぐに思い浮かぶ。マイル戦での圧倒的な強さ。しかしその勝ち方は自分の才能のまま、いつも軽やかだった。いったい彼女はどんな女の子だったのだろう。

     父は凱旋門賞馬トニービン。その初年度産駒にあたる。母は社台ファームの生産馬シャダイフライトで、17歳(現表記)と高齢の母馬を社台の繁殖セールで買ったのは大北牧場の斎藤敏雄氏だった。牝馬が生まれたら跡取りにしようと思っていたという斎藤氏は、牧場の持ち馬としてノースフライトを走らせる。

     栗東の加藤敬二厩舎に入厩したノースフライトの初出走は1993年5月。大柄でバランスのよい好馬体のノースフライトは、クラシックには間に合わず裏開催の新潟でデビューする。芝1600㍍を2番手で追走し、2着馬に9馬身差をつける圧勝だった。

     2戦目は7月の小倉。500万下の足立山特別で、2着馬に8馬身差をつけてまたも圧勝。このとき手綱を取った武豊ジョッキーが、「秋にはベガのライバルになるかも」と冗談っぽくコメントしたのは伝説だ。

     デビュー3戦目の秋分特別でノースフライトは初めて5着に敗れた。敗因は中間の熱発とフケ。この時点で賞金が800万。当時牝馬クラシックの最終戦であったエリザベス女王杯のトライアルレース・ローズステークスへの出走がかなわず、古馬にまじって府中牝馬ステークスに出走することになった。

     50㌔の軽量と、1、2戦目の圧勝が買われて4番人気に推されたノースフライトは、スタートであおったもののすぐに好位にとりつき、直線半ばで抜け出すと2着馬パーシャンスポットを4分の3馬身差でしのいで重賞初勝利を飾った。鞍上は角田晃一騎手で、陣営の目論見通り異例のステップから牝馬三冠最終戦へと駒を進めたのである。

     この年のクラシックではトニービンの初年度産駒が大暴れしていた。牡馬ではウイニングチケットが柴田政人ジョッキーに悲願のダービー制覇をプレゼントしていたし、牝馬ではベガが桜花賞とオークスの二冠に輝いている。エリザベス女王杯は各馬打倒ベガが目標で、ファンは遅れてきた2頭に注目していた。1頭はローズステークスを勝ち6戦4勝の成績を引っ提げて1番人気に推されたスターバレリーナ。そしてもう1頭がノースフライトである。ノースフライトは5番人気。スターバレリーナとの人気の差は、ノースフライトの実績からくる距離への不安にあった。こればっかりは走ってみないとわからない。春に活躍したベガ(2番人気)、ユキノビジン(3番人気)なども顔を揃え、ノースフライトは角田晃一騎手とのコンビで本番に臨んだ。

     レースはケイウーマンが引っ張って進む。ユキノビジン、スターバレリーナらを前に見て、ノースフライトは7番手。すぐ後ろにベガが控えた。直線に向いて好位につけていた有力馬が激しく競り合う中、残り200㍍でノースフライトが先頭に立つ。そこへ後方から追い込んできた9番人気のホクトベガが最内を伸び、残り100㍍で並んだ。そしてホクトベガがさらに伸び、1馬身2分の1差がついてノースフライトは2着に終わった。

    「抜け出したときは勝てると思ったんですが…」と角田晃一騎手。またノースフライトとのコンビで全国的に知られるようになった石倉幹子厩務員は、「フーちゃんはやれるだけやったんですから、私は勝ったのと同じくらいうれしかったです」と相棒をねぎらった。後の「砂の女王」と「マイルの女王」がワンツーを決めた93年のエリザベス女王杯は、3着に「ダービー馬の母」となるベガが入り、日本の競馬史に輝く3頭が一瞬出会った不思議な運命のレースである。

    1993年 府中牝馬ステークス ● 優勝 デビュー2戦を圧勝も、3戦目で初黒星。GⅠ出走を懸けて、初騎乗の角田晃一騎手を背に重賞初挑戦初制覇©JRA

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    1993年 エリザベス女王杯 ● 2着 同じトニービン産駒ベガが牝馬三冠を目指す一戦で、ホクトベガに勝利をさらわれるも、直線で一旦先頭に立つ©JRA

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