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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    名牝からついに出た大物
    強さと表面化する課題

    2012年 ラジオNIKKEI杯2歳S ● 優勝 母と同じく福永祐一騎手を背に2連勝を経て、ライバルとなるキズナ(緑帽)を寄せ付けず重賞初制覇©S.Katsura

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     エピファネイアは10年2月11日、北海道安平町のノーザンファームで生まれた。父のシンボリクリスエスはこれが6世代目。この時点では3世代がデビューし、GI馬はサクセスブロッケンのみだったが、そんな実績以上に産駒への評価は高く、あとはいつ自身のような芝の超大物を出すのかが注目されていた。

     そしてその相手として、シーザリオはまさに格好の繁殖牝馬だった。

     05年オークス馬で、その次走、アメリカへ遠征し、ハリウッドパーク競馬場の芝10ハロンで行われたアメリカンオークスを4馬身差で圧勝。「日米オークス制覇」の快挙を成し遂げたシーザリオは、当時も今も、まさに掛け値なしの名牝と呼ぶべき馬だ。

     通算成績は6戦5勝、敗れたのはラインクラフトにアタマ差2着の桜花賞のみ。繋靭帯炎によりアメリカンオークスを最後に引退したが、筋肉質な馬体と闘争心を剥き出しにした走りは結局、底を見せないままだった。もし走り続けていれば、2年後のウオッカ、ダイワスカーレットらが拓く「牝馬の時代」を先取りする活躍をしていたかもしれない。そんなことすら思わせる馬だった。

     繁殖入りしたシーザリオは2年続けてキングカメハメハと交配された。初仔の牡馬トゥエルフスナイト、妹のヴァイオラとも素質は非常に高く評価されていたが、いずれも脚元の怪我に泣き、兄は1戦1勝、妹は不出走で引退。1年の不受胎を挟んで生まれたのがエピファネイアだった。

     後にリオンディーズやサートゥルナーリアといった名馬を続々と送り出すシーザリオだが、この時点ではまだ産駒の活躍はない。しかし兄姉の評価の高さと、そして何よりエピファネイア自身の馬体や動きの非凡さが、ついに名牝の能力を受け継ぐ大物が登場したことを物語っていた。

     母、兄、姉と同じ栗東の角居勝彦厩舎に入ったエピファネイアは、2歳秋、10月21日の京都芝1800㍍の新馬戦でデビューすることとなった。鞍上はシーザリオの主戦も務めていた福永祐一騎手だった。

     菊花賞当日に行われるこの条件の新馬戦は、当時は「伝説の新馬戦」と呼ばれるほど特別な注目を浴びていた。実際、この3年前の09年は1着ローズキングダム、2着ヴィクトワールピサ。その前年はアンライバルド、リーチザクラウン、ブエナビスタ、スリーロールスが1~4着という豪華な決着が実現していた。

     後年、福永騎手は、当時まだダービーを勝ったことのなかった自分にぜひともダービーを、と角居調教師が言ってくれていたことへの感謝を口にしている。それほど両者の信頼関係は深く、エピファネイアはまさにその大願を目指すために生まれてきたような背景を持つ馬だった。

     新馬戦を評判通りの強さで豪快に差し切り、3馬身差で勝利したエピファネイアは、続くオープン特別の京都2歳Sも1馬身3/4差で完勝。

     GⅢラジオNIKKEI杯2歳Sは、少頭数で1000㍍通過66秒の超スローペースとなったが、逃げ粘るバッドボーイを半馬身、差し切った。クビ差の3着がキズナだった。

     3歳初戦の弥生賞は、福永騎手が1週前に騎乗停止となり急遽、短期免許のウィリアム・ビュイック騎手へ乗り替わりに。道中は掛かり通し、直線を向くや一気に脚を使い果たして4着に敗れたこの一戦は、ケタ外れのパワーと激しい前進気勢の折り合いというエピファネイアの課題が、ついに表面化したレースとなった。

     角居厩舎の調教助手を長く務めた辻野泰之(現在は調教師)は、以前、シーザリオとその子供たちについて取材している中で、苦笑しながらこんなことを話してくれた。

     シーザリオは、体型などは父を強く出す繁殖牝馬だが、負けん気の強さ、一生懸命に走るところは共通して母から仔に色濃く伝えている。ただ、その中でもエピファネイアの感触は凄まじかった。あれは他の馬では感じたことのない、関西弁でいうところの「あかん感じ」だった。

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