競馬場レースイメージ
競馬場イメージ
出走馬の様子
馬の横顔イメージ

story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    元祖アイドルホースに代わる
    スターの誕生が不可欠だった

     あの頃。1970年代半ば。競馬を取り巻く雰囲気は様変わりした。単なるギャンブルの域を超え、多くの人たちが参加する“健全な遊び”へと変わった。いや、正確には変わりつつあった、というべきだろう。

     その立役者はハイセイコーだった。

     この世界にはじめて登場したスーパーアイドル。彼の走りを見るために、それまで競馬にまったく関心を示さなかった“新しいファン”が競馬場に集い、声援を送り、テレビの前で拍手した。

     第1次競馬ブームと呼ばれる社会現象。

     やがて鍛え抜かれた競走馬の走る様を目の当たりにし、その魅力を確認した人たちは、たとえば、アスリートが覇を競い、その勝敗に一喜一憂するスポーツのような身近な存在として競馬を認知する。

     ファンの数が飛躍的に増え、その裾野も広がると同時に、楽しみ方も多様化した時代。余談だが、当時の中央競馬のキャッチフレーズは「競馬は遊びの一つです。遊びの主役はあなたです」だった。まさにタイムリーなコピーだと思う。

     75年1月、ハイセイコーの引退式が東京競馬場で行われた。これを機にそれまでの異常な熱気は失われたものの、新しいファンは自分なりの流儀で競馬と付き合うことにした。ただし、ブームを定着させ、日常にするためにはハイセイコーに代わるスターの誕生も不可欠だった。

     そんな空気を察したかのように引退式から1年後、同期のライバルたちより少し遅れて登場したのがトウショウボーイだった。もちろん、デビュー戦に臨んだばかりの若駒。いきなり注目されたわけではない。1番人気に支持はされたが、あくまでも数カ月後に迫ったクラシックの舞台で活躍してくれるかもしれない。そんな程度だった。それよりも一足早く次代のヒーローになる予感を漂わせる逸材が関西の地に現れていた。

     前年、2歳の夏にデビュー、ここまで2着馬に10馬身、9馬身、7馬身と圧倒的な差をつけて勝利、その強さを見せつけて新しい年を迎えたテンポイント。この時点で今年のクラシック戦線は一強。ファン、とりわけ関西の競馬ファンは確信していた。この頃、ビッグレースでの東西の勝敗は関東馬が断然勝っていた。東高西低。将来を嘱望される馬は関東の厩舎に預ける。そんな風潮があった。

     久しぶりに誕生した関西の大物。その注目度は西から、そして全国へと広がりつつあった。

     そのテンポイントへの挑戦権をかけた新馬戦、トウショウボーイは難なく突破。その後も2戦2勝。内容も完勝といえるもので、一躍関東の総大将として名乗りをあげた。一方のテンポイントも満を持して東上、重賞2連勝を飾り、5戦全勝と完璧な成績で三冠の第一関門、皐月賞へと駒を進めた。

    デビューから4連勝でクラシック第一弾の皐月賞を制した©JRA

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