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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    “クラシック開放元年”における
    内国産馬たちの反撃

    ©M.Yamada

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     クロフネのデビュー戦は3番人気。同じ外国産馬のエイシンスペンサーに敗れたというのはマル外ブームの時代らしい結果だが、その素質は敗れてもファンには伝わっていた。折り返しの新馬戦と続くエリカ賞はともに単勝1・3倍の1番人気に応えて連勝。このあたりは「強いマル外」としかいいようのない結果だ。

     続くラジオたんぱ杯3歳Sにも、単勝1・4倍の1番人気で出走。しかしクロフネは3着に敗れる。勝ったのはアグネスタキオン、2着はジャングルポケット。後の皐月賞馬とダービー馬だ。

     レベルの高さで知られるこの世代だが、ここでこの3頭が顔を合わせたことには単に強い馬どうしの対決という以上の特別な意味があったし、クロフネが負けたことにも意味はあった。

     というのも、この世代が走る01年のクラシックは、「クラシック開放元年」でもあったからだ。ここだけはマル外に開放されまいと思われていたクラシック5競走が、少しずつ外国産馬に門戸を開いた最初の一歩がこの時。ダービーと菊花賞に2頭ずつ出走枠が設定されていた。

     内国産馬や日本の馬産という立場からすると、ここは死守すべき城である。もしクラシック制覇においてもマル外が早道ということになったら、日本の馬産はどこまで攻め込まれることになるか。たとえクラシックそのものでなくても、重要なステップレースとなるラジオたんぱ杯は、内国産陣営にとって簡単には譲れない一戦だった。

     いまレースを振り返ってみると、当事者たちが意識したものでなかったにせよ、緊張感に満ちたシーンがある。残り800㍍のハロン棒あたり。良い手ごたえで上がっていこうというクロフネに対し、内にいたジャングルポットの角田晃一騎手は鞭を抜いて付いていくことを促す。後方からはアグネスタキオンと河内洋騎手がすっと上昇して、クロフネの直後につける。

     4角ではアグネスタキオンがクロフネの外を捲り、自力でねじ伏せにいこうとする。後ろではジャングルポケットが、前の2頭に隙あらばいつでも、と構える。

     おおげさに言えば、天下分け目の戦いである。仮にここでクロフネが楽勝でもしていたら、マル外礼賛はさらにその勢いを増して、日本の競馬や馬産は歴史のあり方を変えていたかもしれない。そうはさせじ、と立ち向かったのが内国産馬の2頭。逆にクロフネは、1頭で2頭を相手にしなければならなかった。

     クロフネは負けたが、それによって日本の競馬や馬産に自信を与える役割を果たした。脅威に怯えるだけではいけない。戦って勝てばよいのだし、日本はそれだけの力をつけつつある。そう考えることができたのは、クロフネの存在が大きかったからでもあろう。

     本当なら、この3頭による名勝負がもっと続いて欲しかった面はある。そうすれば、時にはクロフネが勝って日本勢の気持ちを引き締めることもあっただろうし、内国産馬が再度その存在感を誇示することもあっただろう。

     ただ残念なことに、時代はそこまで進んではいなかった。この世代のマル外に開放されていたのは、ダービーと菊花賞だけ。皐月賞の開放は翌年からである。やむなくクロフネは、毎日杯→NHKマイルカップと本来のマル外路線を進み、これを連勝する。その間にアグネスタキオンは皐月賞を制したが、左前浅屈腱炎を発症し引退。ラジオたんぱ杯の3頭が再び揃うことはなかった。

     クロフネ自身ははじめて開放されたダービーの出走枠にルゼルとともに入ったが、レースでは距離も影響してか5着と精彩を欠いた。前年末のような緊張感のあるシーンが再現されることはなく、クロフネの戦いはいったんリセットされた後、秋に得意のマイルから中距離において、古馬を相手に展開されるものと思われた。

     休養後、神戸新聞杯(3着)を叩かれたクロフネが目標に据えたのは、天皇賞(秋)。クラシックより一歩早く、前年から外国産馬に2頭、出走枠が設けられていた。しかしここで、競馬の神は誰も予想できなかった展開を用意する。

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