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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

未来に語り継ぎたい名馬物語 19

芝・ダートでGⅠを勝利した芦毛の怪物
クロフネの"衝撃"と"貢献"

須田 鷹雄 TAKAO SUDA

2016年11月号掲載

芦毛の怪物・クロフネ。3歳の秋初戦までは芝を走りGⅠを含めて重賞2勝していたが、その後、運命に導かれるようにダート路線へ転じて信じられないような強さを発揮した。

     外国産馬で馬名がクロフネ。こうくれば、多くの人が想起するのはマシュー・ペリー率いる、アメリカ海軍・東インド艦隊の蒸気船であろう。実際に馬名の由来もそうだという。

     ただ、日本史において黒船来航の果たした役割と、競馬史において競走馬クロフネの果たしたそれを、そのまま対比することは難しい。黒船はある日突然やってきて、威力をもって太平の眠りを覚ました。最初の浦賀来航から日米和親条約までは1年も経っていない。欧米列強へ向き合うというテーマは突然もたらされ、事態は猛スピードで進んでいった。

     日本競馬史における海外の競馬や馬産との関わりは、これとは全く時間軸の異なるものである。そもそも近代競馬はイギリス人によってもたらされ、もともと国内に存在しなかったサラブレッドという品種を頂点に据えて、日本の競馬は発展していった。

     その過程で問題となりつづけたのが、競馬のレベルを上げることと、国内の馬産を保護すること、その両立だ。時には政治的なテーマとして紛争の種にもなった「開放」は、突然起こった問題ではなく、むしろずっと存在しつづけたものだ。

     ただ、クロフネが日本へやってきた前後、時代は大きく動きつつあった。クロフネは黒船のように1頭で時代を変えたわけではないが、変わりつつあった時代の中で走った1頭ではあった。ゆえに、クロフネの足跡を辿ることは、日本競馬の歴史、特に開放と進歩の歴史を考えるうえでも、たいへん興味深いものとなる。

    ジャパンCダートにはGI馬ウイングアローやGI6勝の米国調教馬リドパレスらも出走していたが、7馬身差で圧勝した©H.Watanabe

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