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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    外ラチすれすれから追い込んで
    史上初となる五冠馬となった

    引退レースとなった有馬記念のゴール前。外ラチ近くの大外を通ったシンザンがテレビカメラの視野から消えたため、アナウンサーが「シンザンが消えた」と実況した【JRA】

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     65年。4歳になったシンザンは天皇賞(春)を目指したが、ここでも順調さを欠くことになる。前年の激闘の疲れからは立ち直ったが、蹄が炎症を起こし満足な調教もできず、飼い葉も食べられないというアクシデントに見舞われたのだ。その様子を見た武田は、三冠は生涯一度のチャンスだが、天皇賞は秋にも行われる。待てばいいと、あっさりローテーションを変更、春の目標を宝塚記念に切り替えることにした。

     本来の姿を取り戻したシンザンは5月29日、半年ぶりにターフに姿を現し、ブランクを感じさせることなく順当勝ち。さらに6月13日のオープン戦も勝利し、中1週でファン投票1位の期待を背負い宝塚記念へと駒を進めた。

     唯一の懸念材料は初めて経験する不良馬場だったが、まったく気にすることなく直線4番手から大外を伸びてバリモスニセイに半馬身の差をつけて優勝した。ちなみに、当時は最も格の高いレースを八大競走(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス、春秋の天皇賞、有馬記念)と呼び、宝塚記念は含まれていなかった。

     それはともかく春の目標を達成したシンザンは束の間の休養に入った。

     前年同様、厩舎で夏を過ごしたが、例年並みの暑さと万全の対策を施した結果、順調に秋を迎えることができた。

     始動は10月2日。ここで12勝目を挙げると、本番前に東京競馬場でオープン戦に出走して、というローテーションを描いていたが、馬インフルエンザが蔓延、移動が制限されてしまった。そのため、東上の予定が遅れ、やむなくハンデ戦の目黒記念に変更することになった。課せられたハンデは63㌔。武田は愛馬への負担を心配したが、実力馬ブルタカチホを半馬身退けて優勝。天皇賞(秋)制覇に向け、態勢は完全に整った。

     単勝1・0倍。まさに不動の本命馬。わずかに、その牙城を崩す可能性を秘めたライバルとしてアメリカからの持ち込み馬で、ここまで10戦9勝2着1回のハクズイコウの名前が挙がっていた。

     レースはミハルカスの逃げで始まった。シンザン、そしてハクズイコウ、ブルタカチホ、ウメノチカラら有力馬が、これをマークして最後の直線に入った。予想通り、外からシンザンが、内からハクズイコウが伸び、両馬の争いかと思われたが栗田の一鞭で勝負は決した。2馬身差。完勝で四冠馬の座に就いた。

     これで残されたタイトルは有馬記念のみとなった。そしてラストランとなったグランプリでシンザンは半世紀を過ぎたいまでも語り継がれる驚愕のレースを披露してくれることになる。

     12月26日。雨こそ落ちてこなかったが、雲が低く垂れこめる冬枯れの中山競馬場。この週の半ばに降った雨はまだ乾ききれず、「稍重」と発表された馬場コンデションは、それ以上に悪化していた。

     天皇賞(秋)でも逃げて3着に粘ったミハルカスが敢然と先頭に立ち、レースの火ぶたは切られた。シンザンは3番手の好位置で待機。3コーナーで後続に7~8馬身の差をつけたミハルカスは、そのまま直線に向かうと、突然、進路を大外にとった。荒れたインコースを避けるのは当然の作戦だが、鞍上の加賀武見は、もう一つのシナリオを描いていた。シンザンを極端に悪化した馬場の内側を走らせ、少しでも末脚を鈍らせる。そのぐらいの苦境に追い込まなければ勝てない。そう考えての捨て身の戦法だった。

     しかし、猛然と追い込んできたシンザンは加賀の思惑を見透かしたかのように、ミハルカスよりもさらに外のコースを選択した。それはまさに外ラチすれすれの、スタンドの少し後ろで観戦したファンの視線からは見えない限界を超えた場所だった。実況中のテレビカメラも一瞬、シンザンを捉えることができず、アナウンサーは「シンザンが消えた!」と叫んだ。

     そして、ふたたび姿を現したとき、史上初の五冠馬が誕生した。

     レース後、栗田に代わって手綱を取った松本善登は「シンザンが外を回れと言った」とコメントしている。

     こうして完璧な現役生活を終えたシンザンは種牡馬としてもミナガワマンナ(菊花賞)、ミホシンザン(皐月賞、菊花賞、天皇賞(春))など、20頭の重賞優勝馬を送り出し、内国産の黎明を告げ、96年7月、35歳3カ月の国内サラブレッド最長寿記録を残して大往生した。

     生涯を通して感動と驚きをくれた伝説の名馬シンザン。16位にランクされたよ、と伝えたら、彼は喜ぶだろうか、苦笑いするだろうか――。(本文敬称略)

    65年の暮れ、中山競馬場で行われた有馬記念も快勝。引退レースを勝利でかざり〝五冠馬″と称された【JRA】

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    シンザン SHINZAN

    1961年4月2日生 牡 鹿毛

    ヒンドスタン
    ハヤノボリ(父ハヤタケ)
    馬主
    橋元幸吉氏
    調教師
    武田文吾(京都)
    生産牧場
    松橋吉松氏
    通算成績
    19戦15勝
    総収得賞金
    6021万9700円
    主な勝ち鞍
    65有馬記念/65天皇賞(秋)/65宝塚記念/64菊花賞/64日本ダービー/64皐月賞/65目黒記念(秋)/64スプリングS
    表彰歴等
    顕彰馬(84年選出)
    JRA賞受賞歴
    65年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬/64年度代表馬、最優秀3歳牡馬

    2016年8月号

    広見 直樹 NAOKI HIROMI

    1952年生まれ、東京都出身。早稲田大学を中退後、雑誌編集者、記者を経てフリーのライターとなる。著書に「風の伝説 ターフを駆け抜けた栄光と死」、「日本官僚史!」「傑作ノンフィクション集 競馬人」(共著)など。

    1964日本ダービー【JRA】

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