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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    場内騒然のダービーのゴール前
    しかし最後は一気に加速し完勝

    2着ウメノチカラに1馬身4分の1差をつけて日本ダービー制覇、二冠を達成した。派手さはないが完勝と言える内容だった【JRA】

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     この年の皐月賞は中山競馬場が改修工事のため東京競馬場で行われた。

     前走で実力が認められたシンザンは1番人気に支持されての出走だった。

     小雨の中、スタートダッシュを決めたシンザンだったが、いったんは中団まで下げ、直線でスパート。着差(3/4馬身)以上の余裕の勝利で三冠の第一関門を突破した。

     この後、ダービーの2週間前に行われたオープン戦に出走、ここで2着と初めての敗北を喫することになる。ただし敗因は太目残りとはっきりしていた。

     日本ダービー。前走から7㌔絞って万全の態勢で臨んだシンザンにファンは1番人気(2・1倍)の評価で応えた。
     27頭立ての4枠10番の絶好枠に入ったシンザンは、これまで同様、中団からレースを進めたが、3コーナーで仕掛け、直線坂下では早くもトップに立つ積極的な戦法でゴールを目指した。

     俗にいう横綱相撲で圧倒する。そんな作戦を思い描いていたのかもしれない。しかし、内をついたウメノチカラがシンザンを交わし、直線中ほどでは1馬身ほどリードを奪った。

     場内は騒然となったが鞍上の栗田勝が左鞭を入れると一気に加速。ゴール前100㍍で並び、そのまま1馬身1/4の差をつけて完勝。前年、メイズイが記録したレコードに0秒1及ばなかったが堂々たる勝ち方で二冠を制した。

     レース後、栗田は「負けたら私の責任と思って乗りました。コダマ(60年の二冠馬)のときよりも楽でしたね」とコメントしている。一方、ウメノチカラの鞍上の伊藤竹男は「理想的なレース運びをして負けたのだからシンザンは強い。悔いはないです」と完敗を認めた。

     こうして三冠に王手をかけたシンザンが夏を越し、ふたたびターフに姿を現したのは10月10日のオープン戦だった。

     64年10月10日。この日はアジアで初の東京オリンピックの開会式が行われた日でもある。1日には東海道新幹線も開業を始めた。まさに日本中がお祭りムード一色に染められた年だった。

     敗戦から20年、目覚ましい経済発展を遂げた日本が国際的にも認められた。そんな明るい雰囲気が充満する中、競馬の世界でも史上2頭目、戦後初の三冠馬が誕生するかもしれない。

     時代の申し子。シンザンにそれを感じるファンも多かった。

     しかし、本番を迎えるまでのシンザンの歩みは決して順調ではなかった。生まれ故郷の北海道で夏を過ごすという“常道”ではなく、厩舎で調整し秋を迎えることを選択したが、何十年ぶりともいわれる猛暑がシンザンを襲った。

     夏負け。食も細り、次第に生気は失われていった。武田をはじめ関係者は懸命に暑さ対策を講じたが、9月を過ぎ、ようやく秋風を感じる頃まで本格的な調教を行うことができなかった。

     レースを使いながら調整する。こうして秋初戦のオープン戦に臨んだがゴール前、伏兵のイチミカドにクビ差交わされ2敗目を喫した。さらに京都杯でも逃げたバリモスニセイを捉えきれず3つ目の黒星。この時点で三冠の夢に黄色信号が灯ったと思った人も少なからずいた。しかし、本番直前、気合が一変、シンザンは奇跡的に復活した。

     11月15日。菊花賞。前哨戦のセントライト記念を快勝したウメノチカラが1番人気に推され、シンザンは2番人気。単勝支持率もウメノチカラが39・9%、シンザンは31・6%と多少差はつけられたが、2頭で他馬を圧倒。一騎打ちという見方に変わりはなかった。

     武田も栗田に、敵はウメノチカラただ1頭。先に仕掛けたほうが負ける。負けてもいいから先に追うな、と指示した。

     レースは意外な展開で進んでいった。スタートを切り、最初の3コーナーを回る手前で、春、桜花賞、オークスを制し、牝馬二冠の座に就いたカネケヤキが先頭を奪い、一気に後続馬を引き離していった。2周目の向正面では5、6番手につけていたシンザン、ウメノチカラとの差は20馬身以上にも広がり、ファンの脳裏に“牝馬の逃げ切り”というシーンがよぎった。が、さすがに3コーナーを回る地点で脚色は鈍り、後方の馬たちが迫ってくる。そして終始シンザンの直後を追走していたウメノチカラが動き、カネキヤキを捉えに進出をはじめた。しかし、見せ場はここまでだった。一瞬遅れて栗田がゴーサインを出すと、大外から並ぶ間もなく最大のライバルを抜き去り、悠々と三冠のゴールを駆け抜けた。

     41年のセントライト以来、23年ぶりに誕生した三冠馬。選び抜かれたアスリートたちの戦いに熱狂した東京オリンピックが閉幕して3週間、その興奮が覚めやらぬ中、競馬の世界に登場した無敵の戦士にファンは惜しみない喝采を送った。

     次なる戦いの場は有馬記念。誰もがそう思ったが、レース後、シンザンの疲労は容易に回復することはなかった。

     極限までの夏負けと偉業に挑むプレッシャー。武田は有馬記念には見向きもせず、大仕事を成し遂げた愛馬に休養を与えることにした。

    65年の宝塚記念は、初の不良馬場だったがいつも通りの強さを見せつけて快勝【JRA】

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