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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    呆気ないほどの圧勝で天皇賞制覇
    武豊騎手は遺影を高々と掲げた

    1500万下条件の嵐山S2着をステップに臨んだ菊花賞で、4番人気ながら初めてのGI制覇を果たした©H.Imai/JRA

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     厩舎関係者の間では早くから「あの芦毛は走る」と評判を集め、3歳2月のデビュー戦を快勝したときには「ダービーを意識した」(池江調教師)というメジロマックイーンが頭角を現したのは、3歳9月の函館戦だった。ソエ(骨膜炎)に悩まされ、新馬戦を勝ち上がった後は500万下特別で2、3着と足踏みを続けた春に、無理をせず早めに休養させた判断が奏功し、持てる力をしっかりと発揮できるようになってきたのだ。

     復帰戦の渡島特別こそ2着に惜敗したものの、続く木古内特別を逃げ切ると、連闘で臨んだ大沼Sも快勝。1カ月のうちに3戦を消化したローテーションは、「何としても菊花賞へ」という陣営の強い思いの表れでもあった。この時点ではまだ、知る人ぞ知る存在に過ぎなかったが、栗東へ帰厩後、メジロライアンに併せ馬で先着し、「菊花賞の惑星候補」と一気に知名度が高まったことは先にも記した通りである。

     ステップに選ばれた嵐山S(芝3000㍍の準オープン特別)は直線で前が壁になる不利が響いて2着に敗れたが、良血の上がり馬は4番人気の支持を背に菊花賞へ挑み、初めての戴冠を果たす。2周目3コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切る堂々のレース運びだった。

     押せ押せで使われてきた臨戦過程を考慮し、菊花賞の後はひと息入れて休養。そして4歳の始動戦、阪神大賞典からは秋の手綱を取った内田浩一騎手にかわり、武豊騎手が新たな主戦に迎えられる。豊吉の遺言、父仔3代制覇の目標がいよいよ現実味を帯びてきたことを受け、陣営は万全の構えを敷いたわけだ。阪神大賞典のレコード勝ちに弾みをつけて挑んだ春の天皇賞は呆気ないほどの完勝だった。託された期待に応え、大役を果たした武豊騎手はレース後の表彰式で豊吉の遺影を高々と掲げた。

     しかしその後はしばらく、踊り場のような時期が続く。宝塚記念では同期のメジロライアンに雪辱を許して2着、京都大賞典を快勝して臨んだ秋の天皇賞では後続に6馬身もの着差をつけてゴールを駆け抜けながら、序盤の進路妨害によって降着(18着)処分を受けた。日本馬最先着(4着)を果たしたジャパンCも海外の強豪には決め手の違いをまざまざと見せ付けられた格好の完敗で、暮れの有馬記念では14番人気の伏兵ダイユウサクによもやの金星を献上(2着)した。

     勝負の世界特有の悪い流れに搦(から)めとられてしまった印象もあるけれど、今から振り返るとこの時期のメジロマックイーンは真の本格化の手前で足踏みを続けていたように思う。ありふれた一流馬から超のつく一流馬にステップアップしたのは阪神大賞典、天皇賞を連勝した5歳春のこと。特に無傷の二冠馬トウカイテイオーをロングスパートで一蹴した春の天皇賞の勝ちっぷりには、1年前を数段上回る“凄み”が感じられた。

     とはいえそれも、ひとつの通過点に過ぎなかった。全貌を現したように思えた大きな能力は、宝塚記念の前に判明した骨折を乗り越えて戦列に復帰した翌年、さらに進化し、変容を遂げていた。

     復帰戦の大阪杯をレコードで圧勝(5馬身差)したその6歳のシーズン。反動もあったのか、春の天皇賞ではライスシャワーの2着に敗れ、3連覇の快挙は逃したものの、続く宝塚記念では中距離GⅠのタイトルを初めて手中に収める。

     秋初戦の京都大賞典は従来のレコードを1秒9も塗り替える圧巻の走りで楽勝した。時計のインパクトも強烈だったが、2着のレガシーワールド(同年のジャパンCに優勝)を子ども扱いにしたこのときの強さは本当に目を見張るもので、骨折前よりもいっそう、“凄み”を増したように思えた。しかし、断然の主役を務めるはずだった秋の天皇賞に向けた最終追い切りを済ませた直後に、故障(左前繋靭帯炎)が判明。6歳の秋を迎えてもなお、進化を続けた驚異の名優は、能力の全貌をついに明かさないままターフを去った。

    91年天皇賞(春)は、メジロライアン、ホワイトストーンらを抑え1.7倍の圧倒的人気に推され、見事に戴冠©H.Imai/JRA

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