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story 未来に語り継ぎたい名馬物語

    精神面で大人になれば大仕事をしてくれると確信した3歳秋

     1997年2月1日。京都競馬場。3歳になったスズカはデビュー戦に臨んだ。

     直前の坂路調教で軽々と52秒台の時計を出すスズカに橋田氏は器の違いを感じ取っていた。問題は勝ち負けではなく、どう勝つか。

     結果は楽に先頭を奪うと、鞍上の上村洋行が一度も追うこともなくそのまま7馬身の差をつけて圧勝。勝ちタイムは1分35秒2(芝1600㍍)。

    「予想以上でも以下でもなかった。これぐらいは当然だろう」と橋田氏は思った。同時に、この一戦で、これはダービーを目指す馬だ、と決断した。ただし、いまは素質だけで走っているようなもの。肉体と精神はまだまだ完成途上。なるべく馬に負担のかからないローテーションを考え、次走に選んだのが3月2日に行われる弥生賞だった。

     ここでスズカは心配されていた幼さを露呈してしまう。ゲート内で突然暴れだし、揚句、ゲートの下を潜り抜けてしまったのだ。鞍上の上村は振り落とされ、しばらく地面にうずくまった。

     発走除外。ファンも関係者も覚悟したが、馬体検査の結果、異常は認められず大外枠からの発走となった。さらにスズカの失態は続く。パニック状態に陥ったスズカはゲートが開いても脚を絡ませ出ようとせず、致命的な出遅れ。結局1秒5差の8着と惨敗を喫した。

     デビュー戦での圧勝劇と弥生賞の大失態。面白い馬がいるな。図らずもスズカの名前はわずか2戦で全国区となった。

     橋田氏は述懐する。

    「日本人は憎らしいほど強いものを嫌う傾向がありますよね。判官贔屓というか。古馬になってからのスズカは憎らしいほど強い馬だった。でも、たくさんのファンに支持されました。それも弥生賞での出来事があったからじゃないか。そんなふうに思います」

     憎らしいほど強い馬。ただし、そこに至るまで、スズカの紆余曲折はまだ続くことになる。

     この弥生賞でスズカに課せられたペナルティーは21日間の出走停止処分と発走調教再審査。当然、皐月賞は断念。大目標の日本ダービーまでのローテーションの変更を余儀なくされた。

     態勢を立て直して500万円下の条件戦から再出発したが、デビュー戦同様、楽々の逃げ切り勝ち。そしてダービーへの最後のトライアルレース、プリンシパルSに駒を進めることになった。

     クビ差の勝利。しかも逃げずに2番手グループに位置し、接戦をものにした。

     こうしてダービーへの出走権は手に入れたが、そのレースぶりは“らしさ”を欠いていた。

     実はこの頃のスズカの体調は決して万全ではなかった。陣営もそれを感じていた。が、好位差しという“新境地”に一筋の光明を見た。本番も同じ戦法で戦ってみようか。橋田氏はハナに立たずにレースを進めてくれ、と上村に指示した。

     結果的にはこれが裏目に出て9着と惨敗してしまうが、これを機に「スズカに最も似合う戦法は逃げること。それがわかった」と橋田氏は確信した。

     秋。神戸新聞杯で2着と惜敗した以降、スズカのたどった道は同期のそれとは一線を画した。天皇賞・秋からマイルチャンピオンシップ。天性のスピード能力を活かす中距離路線を突き進むことにしたのだ。一線級の古馬を相手にどんなレースができるか。橋田氏の心中には期待もあったが、正直、それ以上に不安の方が大きかった。

    「夏を越してもガラリ一変とはいかなかった。肉体も精神もまだ子供のままだった。だから、あの時期が馬にとっても我々にとっても、もっとも苦しいときでした」

     天皇賞・秋。出走馬の中にはエアグルーヴ、ジェニュイン、バブルガムフェローなど超のつく一流馬の名前があった。

     まだ3歳。しかも成長途上のスズカの前に立ちはだかる山は限りなく高かった。これまで同様先頭に立つと1000㍍を58秒5というハイペースでゴールに突き進んでいった。しかし、直線入口では3、4馬身あった差もみるみる縮まり、エアグルーヴ、バブルガムフェローの2頭がマッチレースを繰り広げる中、静かに舞台を去っていった。6着。それでも3着のジェニュインからはハナ、クビ、クビ差。善戦と呼んでもいいかもしれない。

     マイルチャンピオンシップ。実はこのレースに向かう前に陣営は迷っていた。翌週の京阪杯(GⅢ、芝1800㍍)を選択すべきか。最終的にマイルを選んだのは12月に行われる香港国際Cに日本代表として選出されたからだ。ローテーションを考えると京阪杯ではきつすぎる。陣営はそう判断してデビュー戦以来となる1600㍍戦に臨むことにした。

     ここでスズカは一流のマイラーのスピードの前にたじろぐことになる。

     同期の桜花賞馬キョウエイマーチと激烈な先行争いを演じた。それは1000㍍通過が56秒5という数字からもわかる。さらに“鞍ズレ”というアクシデントも重なり直線手前で失速。結果は1着のタイキシャトルから2秒9離された15着。大敗を喫する。

     橋田氏はこの2戦をとおして、「敗れたとはいえ、彼の能力の非凡さ、さらに距離の適性を再確認しました。幼さゆえにまだがむしゃらに突っ走っているだけですが、精神面で大人になれば大きな仕事をしてくれる」と手応えを感じていた。

     そして、もう一人、スズカの天賦の才能を見抜いていた人間がいた。

    「武くんです。彼はずっと乗せてくださいとアピールしてくれていたのですが、実現できないでいました」

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