
優駿8月号 No.980
2025.07.25発売
[特集]
2025上半期総集編
今年の3月末から4月末までの1カ月、短期免許で来日したジョアン・モレイラ騎手。この短期間でGⅠレースを3勝と大活躍した。勝利した高松宮記念、桜花賞、皐月賞は距離もコースも違えど、いずれも馬を馬群の中で我慢させて直線で抜け出す鮮やかな内容だった。
短期免許の騎乗期間が終わる直前、栗東トレーニング・センターで彼にインタビューした際に、「日本でのレースはとにかく楽しい。今までGⅠを勝ったことはあるけど、これほど流れがよく、続けてGⅠを勝てたことはありません」と語ってくれた。
私がジョアン・モレイラという名前を初めて耳にしたのは、2009年に彼がシンガポールで騎乗を始めた頃だった。当時、私の拠点はオーストラリアだったが、07年にシンガポールで短期免許を取得し、同年の3月には重賞を勝利(チェアマンズトロフィー)していて、自然とクランジ競馬場のレースに注目していたのを覚えている。
当時は日本での知名度はまだ高くなかったものの、彼はすでに現地で「マジックマン」と称され、シンガポールで通算737勝を挙げた。その後、香港へ拠点を移し、4度のリーディングタイトルを獲得、通算1240勝以上の記録を打ち立てた。
香港で幾度もリーディング争いを繰り広げたザカリー・パートン騎手は以前、「ジョアンとの争いは、肉体的にも精神的にも最も過酷だった。自分の限界を試された」と当時の心境を打ち明けてくれた。トップジョッキー同士の攻防は見ていて興味深いものだった。また、ブラジル出身で母語が英語でないモレイラ騎手が異文化の中で成功する姿に、海外で挑戦してきた私自身を重ね、勇気をもらったものだ。
日本での初騎乗は14年の安田記念開催日。香港のグロリアスデイズとの遠征だった(結果は17頭立ての6着)。それを機に、短期免許での来日やJRAの通年騎手免許試験受験など、日本競馬との関係が徐々に深まっていった。
ある日のジョッキールームで、ミルコ・デムーロ騎手が彼のムチにモレイラ騎手のサインをもらっているのを目にした。ミルコは「私は世界のトップジョッキーのサイン入りムチをコレクションしていて、武豊さんや(L・)デットーリ、(M・)ロバーツらのものも持っています。ジョー(モレイラ騎手)の技術は本当に素晴らしい。彼が来日した時はいつも参考にしている」と語ってくれた。ドバイワールドカップの勝利騎手でさえも称賛するほどの存在、それがジョアン・モレイラなのだ。
サッカーや野球の選手と同じく、ジョッキーも異国で成功するためには並々ならぬ努力と適応力が必要となる。モレイラ騎手は、直線での低く沈み込むような騎乗フォームが特徴的で、接戦でも姿勢を崩さず、一定のリズムを保ったまま馬の力を引き出している。彼の強みは、レース中の判断力だけではない。パドックで跨がった瞬間から馬との対話が始まり、返し馬では丁寧なコンタクトをとる。それらすべてが、彼が勝利を量産する秘訣なのだろう。
その完成度の高さに、日本の騎手たちも大いに刺激を受けているはずだ。私が特に注目していたのは、日本での彼の「折り合い」のつけ方だ。他の国と比べて、日本のジョッキーは長手綱で馬をリラックスさせる技術に長けている。レースごとに出走頭数やペースのバリエーションが豊富な日本は、シンガポールや香港とは勝手が違う。そんな中でも、短い手綱で馬を遊ばせず、内でジッと馬の力をためる騎乗を見たとき、「これが日本競馬における新しいスタイルとなるのでは」と感じた。
栗東でのインタビューでは、「家族のために今はブラジルを拠点にしているけど、騎乗スタイルは常に変化させています。各国のトップジョッキーの乗り方を日々観察し、学び続けているんだ」とも語ってくれた。その姿に、飽くなき探究心と柔軟な精神を感じた。日本でも「マジック」を披露したモレイラ騎手。今後も変化し続ける彼の騎乗を見るのが楽しみだ。
2025.07.25発売
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